ミステリーをもう一冊。クラシックミステリの発掘作品である。『メリリーの痕跡』は、オールドファンには懐かしいハーバート・ブリーンの、唯一未訳で残されていた長篇作品だ。『生きている痕跡』(ハヤカワミステリ)にも登場した雑誌記者ウィリアム・ディーコンが探偵役を務める。
ウィリアムは、恋人と友人夫妻を招待し、大西洋を横断する豪華客船モンマルトル号に乗りこんだ。表向きの理由は休暇旅行だが、実は裏がある。映画撮影のためロンドンへと向かう女優メリリー・ムーアを、陰からそれとなく護衛するよう依頼されていたのだ。メリリーは待遇に不満を抱いて所属事務所を移籍したばかりだったが、その元の事務所社長から脅迫されていたのだ。船上の客となったウィリアムは隠密裏にメリリーと会見を持ち、彼女が自分に母親譲りの予知能力があると信じていることを知る。海上を渡る乗り物を利用したために遭難死する、という予知夢が彼女を支配していたのだ。メリリーはまた、緑色の顔をした男が首を吊って死ぬという夢も見ていたが、そのとおりの状況で彼女のマネージャーが縊死してしまう。予知夢を利用して彼女に災いをなそうとしている人間が船客の中にまぎれこんでいるのだ。メリリーを守るため、ウィリアムの静かな闘いが始まる。
デビュー長篇『ワイルダー一家の失踪』(ハヤカワミステリ)が、マリー・セレステ号事件を思わせる人間消失の謎を扱っていたことから、怪奇趣味の作家と見なされることが多かったブリーンだが、本書の解説で松坂健氏が指摘しているように、その作風は基本的に都会小説のものであり、謎解きよりもスリラーの味を重視することが多かった。彼が創造したもう一人の探偵キャラクターであるレイノルド・フレームには、いつも冤罪の被害者にされて逃げ回っていたという印象がある。立ち止まって推理に没頭するようなタイプの小説を書く人ではないのだ。本書でも、厨房から肉のスライサーが無くなったかと思ったら、次の場面でウィリアムを害する凶器としてすぐに登場するなど、作者はあまり溜めを作ろうとしていない。小刻みにシチュエーションを積み重ねることで、読者にページを繰らせようとしているのだ。そうした軽い感じが楽しい一篇である。船上旅行ののんびりとした味もあり、楽しく読むことができる。☆☆☆。
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