ミステリ界に彗星の如く登場したセバスチャン・フィツェック。デビュー作『治療島』(柏書房)で見せた、卓抜なリーダビリティーには評者も度肝を抜かれた。主人公は、愛娘が行方不明になり、北海の孤島に引きこもってしまった失意の精神科医。その医師の治療を受けたいと訪ねてきた謎の美女が語る物語は、娘の失踪の真相を彷彿させるものだった。しかし、その裏には意外な真実が……。
フィツェックはその1作で、ドイツ国内のみならず、日本の海外ミステリ・ファンにも、次回作が常に待たれる書き手のひとりになった。以後、ラジオ局に立てこもるサイコな知能犯との攻防、余命わずかの少年が告白する前世殺人やスーパーナチュラルが軸となる物語と、一作ごとに毛色を変えてきたが、この4作目では原点回帰。記憶喪失、消えた愛娘、精神病院等々、デビュー作と似たカードがふんだんに登場する。
雪の中、ベルリン郊外にあるトイフェルスベルク病院近くの路上で倒れていた男が、病院の管理人に発見され、担ぎ込まれる。記憶喪失状態にあった彼は仮の名でカスパルと呼ばれる。時折フラッシュバックするイメージには、助けを求める少女が現れる。
その地域では数週間前から、若い女性の精神を破壊するという連続事件が発生。犯人は〈サイコブレイカー〉と呼ばれ、怖れられていた。
クリスマス前夜の猛吹雪の中、病院内は緊急システムが作動して閉ざされる。スノーモービルのガソリンは何者かによって抜き取られ、いわば陸の孤島となってしまった病院に、犯人が侵入。若き女性精神科医ソフィアはサイコブレイカーの被害者と似た状態で発見され、医師や職員や患者は一人、また一人と消えていく。恐怖に怯えながらもカスパルは、少しずつ記憶の断片を取り戻し、おののくのだ。自分はサイコブレイカーが誰かを知っているのではないかと。
本書の大きな牽引力になっているのは、もちろんサイコブレイカーの存在だ。誰が犯人なのか。職員や患者はサイコブレイカーから逃げ切れるのか。何より不可解なのは動機で、それを知ることが全貌に近づく大きなカギとなる。
しかし、本書にはその上を行く見事な仕掛けが施されている。実は読者には冒頭から、このサイコブレイカー事件そのものが、ある心理実験のためのカルテに書き込まれた物語であると明らかにされている。ゆえに、犯人が誰かがわかったあとも謎は続き、その実験の真の目的が何だったかを知る最後の最後まで読者は気を抜けないのである。
フィツェックは、そのように読み手の心理を巧みに操るトリックを多用する。言うなれば、人間の精神というものの得体の知れなさ、不可解さに迫ることを白眉とする作家がフィツェックなのだ。
ところで、本書でさらに驚かされたのは、本に挟まれた奇妙な付箋。最初は誰かが悪意で貼り付けた新手の勧誘かと思い、警戒してしまった。しかし、それもまた仕掛けの一部というあっぱれなサプライズまで。うーん、お見事。欲を言えば、もっとテンポ良く読めればよかったのに、というところ。難解ではないのに、ややレトリックに懲りすぎて文章の読みやすさが削がれてしまっているので、個人的には☆一つ減。
最後に。フィツェックの評価について、また、すでに邦訳されている前3作と本作については、川出正樹氏の素晴らしいレビューをぜひ参考にしていただきますよう。
☆☆☆☆
川出正樹さんによる同作品書評もぜひどうぞ
『サイコブレイカー』レビュワー/川出正樹 書評を読む
とてもおすすめ | ☆☆☆☆☆ |
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おすすめ | ☆☆☆☆ |
まあまあ | ☆☆☆ |
あまりおすすめできない | ☆☆ |
これは困った | ☆ |