松本清張は、下山事件、昭電疑獄、日銀ダイヤ事件、帝銀事件といったアメリカ占領下で起こった不可解な事件を「黒い霧」と名付け、連作集『日本の黒い霧』(文春文庫)で隠された真実に迫ろうとした。柴田哲孝が、清張生誕一〇〇年の記念すべき年に、同じテーマに取り組んだ『銀座ブルース』をぶつけてきたのは、積み重ねてきた取材と調査に絶対の自信があったからだろう。その意味でも、ぜひ『日本の黒い霧』と読み比べて欲しい。
著者は、先に戦後最大の謎ともいわれる下山事件を描いたノンフィクション『下山事件 最後の証言』(祥伝社文庫)を発表しており、本書はフィクションながら、その姉妹編となっている。作中には『下山事件 最後の証言』とリンクするエピソードもあり、二作を続けて読むと、著者のメッセージがより深く理解できるようになっている。
本書の主人公は、戦時中に共産党員を殴り殺したために左遷させられたことが幸いし、戦後、公職追放されることなく警察に留まることができた元特高刑事・柴田幸史郎。柴田も闇屋を脅して商品をかすめ取り、ヤクザとも通じる(現代の感覚でいえば)悪徳刑事だが、配給される食料だけでは餓死していた終戦直後が舞台だけに、したたかに混迷の時代を渡っていく柴田には、現代人が失った野放図なエネルギーを感じてしまう。また柴田が金に執着するのは、自分の身代わりに空襲で死んだ同僚の妻子を支え、戦時中に殺した共産党員と同じ名前の少女を救うためという明確な理由があるので、不快感はない。
柴田は、インフレが加速し品薄であるのもかかわらず進駐軍横流しの洋酒が値下がりしているとの噂を調査したのを切っ掛けに、小平義雄が強姦や殺人を繰り返した小平事件、戦時中に日銀と大蔵省が国民から集めたダイヤの行方をめぐる謎、帝銀事件、昭電疑獄、そして下山事件をめぐる陰謀に巻き込まれていく。取り上げられているのが、昭和史を代表する大事件だけに、その背後にマスコミも報道しない隠された暗部があるとの展開は、丹念な調査から結論を導き出しているので興味深くはある。
ただ長篇小説ならいざ知らず、連作短編集で事件の裏には警察も手出しできない巨大組織の影が……というパターンが続いてしまうと、後半になるほど刺激が弱く、オチが読みやすくなるのも否定できない。これは松本清張の社会派ミステリで、高級官僚が出てくるとアヤしく思えてしまうのと、同じ構図かもしれない。
連作集ゆえの弱点はあるが、虚実の被膜を巧みに操る手腕や、ドラマ『刑事一代 平塚八兵衛の昭和事件史』で渡辺謙が演じた平塚八兵衛や、やはり今年生誕一〇〇年を迎える太宰治が思わぬところに顔を出す遊び心も楽しく、政府やマスコミが発信するメッセージには何らかのバイアスがかかっており、情報を鵜呑みにするのではなく、自分なりの分析を加える必要があるというテーマは、メディアリテラシーを考える時にも重要でもあるので、☆☆☆★。
とてもおすすめ | ☆☆☆☆☆ |
---|---|
おすすめ | ☆☆☆☆ |
まあまあ | ☆☆☆ |
あまりおすすめできない | ☆☆ |
これは困った | ☆ |