短篇集をもう一冊。辻村深月『ふちなしのかがみ』だ。辻村はメフィスト賞を受賞したデビュー作『冷たい校舎の時は止まる』(講談社文庫)以来、ミステリーのプロットを用いて青春小説を書くという試みに挑み続けてきた。私が感心させられたのは『スロウハイツの神様』(講談社ノベルス)で、「こんなところからでもミステリーの展開に持っていけるのか」という驚きのある小説だった。九十パーセントまでは普通小説で、残りの十パーセントで伏線回収を行ってミステリーとしての骨格を完成させるという話なのである。そうかと思えば『凍りのくじら』(講談社ノベルス)のように、考えうる選択肢をつぶしていくという論理の積み上げだけで成立させた作品もある。ああでもない、こうでもない、と主人公が考えているだけで、いつの間にか長篇小説が完結してしまうのだから素晴らしい。着想のみならず、ストーリーテリングの技術も冴えていた。
『ふちなしのかがみ』は、そうした路線とは一線を隠したホラー小説集である。全五篇の収録作は、日常と地続きの場所に生じた異界を描いている。たとえば巻頭の「踊り場の花子さん」。学校の「花子さん」は普通トイレを根城としているものだが、若草南小学校ではなぜか階段の踊り場に出るといわれていた。八月のある日、元教育実習生の女性が、当直中の教師を訪ねてくるところから話は始まるのだ。彼の担任するクラスでは、一人の教え子が不審死を遂げていた。その話題に触れながら二人が校舎内を歩いているうちに、花子さんの影が浮かび上がってくるのである。
どこから異界に足を踏み入れたのか判然としない、不安を誘う書きぶりが楽しい。一篇ごとに雰囲気は異なり、表題作は現実と幻想の境界が次第に失われていき次第に焦燥感が高まってくる話だが、「八月の天変地異」では「ひょっこり」という感じで異変が起きて読者を拍子抜けさせる。こちらは、異変が起きてから現実に帰還するまでのモラトリアムのような美しい時間の部分が読みどころなのである。作者が次は何を仕掛けてくるか、予測がしがたいところもまたおもしろいではないですか。白眉は、「おとうさん、したいがあるよ」である。犬小屋を掃除していた主人公が、中に少女の死体があることを発見する冒頭の場面からしてとぼけた味があるのだが、以降の話は予想外どころの騒ぎではない。嫌展開をさらりと書く大胆な筆致により、本篇はブラックユーモア小説としても通用する完成度を得た。死体の始末をするために別れた恋人を呼びつけた主人公が、「本当にもう恋愛なんかできないのかもしれない」とぼんやり考えている場面などは、たまらないおかしさがある。笑えます。この一篇だけで☆☆☆☆☆を進呈したい。本全体としても☆☆☆☆。
とてもおすすめ | ☆☆☆☆☆ |
---|---|
おすすめ | ☆☆☆☆ |
まあまあ | ☆☆☆ |
あまりおすすめできない | ☆☆ |
これは困った | ☆ |