国内エンターテインメントより、「イヤ話」をもう一冊。
京極夏彦の新作『厭な小説』は、「厭な○○」でタイトルが統一されたシリーズ短篇七作よりなる。内容はタイトルどおりで、いずれの短篇においても、主人公が厭な「何か」に翻弄される。そしてラスト直前で事態が解決するかに見せかけて、すぐに酷いオチを付け、主人公を奈落の底に突き落とすのだ。なお最後を「厭だ」という科白や述懐で締めたり(しかも各篇で微妙に表現を違える)、毎回「深谷」という会社員を登場させて、シリーズ全体の統一性を保っている。
第一篇「厭な子供」では、子供のいない夫婦の家に、流産した我が子を思わせるような子供が度々出没するという怪談が語られる。この子供の不気味さが次第にエスカレートして来るのが面白かった。第二篇「厭な老人」は、故意に糞便をまき散らす老人と同居している人妻の苦悩を扱っているが、読み進めると、この主人公の人妻自身が、その老人を誰だか認識できていないことが明らかとなって来る。主人公の記述が段々信用できなくなってくるわけで、これは非常に京極夏彦らしい。……視点人物が信用できないことがなぜこの作家らしいか、ファンならわかっていただけますよね?
第三篇「厭な扉」では、うだつの上がらない男が、そこに泊まると幸福を掴めると言われて、流行っていそうにないホテルの部屋に向かう……という話。フォークロアを題材とした作品で、オチに新味はない。しかしそこは京極夏彦、語り口で読ませる。第四篇「厭な先祖」は、職場の後輩から仏壇を預かってくれと頼まれてしまう話だ。起きていること自体は、収録作品中これが一番平和かも知れないが、「厭」の度合いは勝るとも劣らないものだ。この仏壇については、SFファンなら海外SFの某有名作品を思い浮かべるだろう。
第五篇「厭な彼女」は、題名通り、主人公の彼女がとんでもない変人で、主人公の嫌がることばかりして来るのである。たとえば、グリーンピースが嫌いだと言うとハヤシライスにグリーンピースを大量に入れてくる。グリーンピースの量は次第に増えていき、最終的には白米の上にグリーンピースだけを盛りつけたものを、ハヤシライスだと言い張って笑顔で出して来る。万事この調子なので主人公は嫌気が差し、別れを切り出すのだが、その際よりにもよって「もう一緒にいるのは厭だ」と言ってしまい……。七篇中「イヤ度合い」は本篇が最強と思われる。
第六篇「厭な家」は、妻に先立たれたリタイア後の男が、我が家で起きるおかしな現象――もう処分したはずの家具の角に足をぶつけたり、片付けたはずの生ゴミを踏んで足に臭いが残ったり――に気がつく。普段の生活に致命的な影響が出るわけではないが、ちょっとしたストレスが積み重なるのは、精神的に一番参るパターンだ。そしてラストで、読者の期待通り、でかい一撃が主人公を見舞う。
最終篇「厭な小説」では、それまでの六篇でチョイ役を務めた「深谷」が登場し、第一篇でも顔を出した部長と一緒に、出張のため新幹線に乗り込む。この部長、自分は無能で何もできないくせに、部下のやることなすこと全てにケチを付け、少しでも反論するとネチネチネチネチ苛めて来るのだ。最悪の上司像そのもので、サラリーマンなら涙なしには読めないはず。そして新幹線の車中で、深谷の我慢はとうとう限界に達した……。中心となるアイデアはよく見かけるものだが、このイヤな上司と一緒に提示することで、読者を集中させることに成功している。
同じくイヤ話であった先述の『絶望ノート』と比べると、『絶望ノート』は登場人物の置かれた状況を外から冷たく眺める感触があったが、『厭な小説』は読者を登場人物に感情移入させて一緒にヤな気分にさせようとする。どちらをとるかは完全に好みの問題で、クオリティ面では甲乙つけ難い。評価は同じく☆☆☆☆。
とてもおすすめ | ☆☆☆☆☆ |
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おすすめ | ☆☆☆☆ |
まあまあ | ☆☆☆ |
あまりおすすめできない | ☆☆ |
これは困った | ☆ |