ビジネス雑誌が頻繁に戦国武将特集を組むことからも分かる通り、歴史小説の中には、戦国武将の戦略や生き様からビジネスに役立つ情報を抽出するタイプの作品が存在している。それなのに経済事件や経済人を題材にした歴史小説は、意外なまでに少ない。
その中にあって岩井三四二『一手千両』(文藝春秋)は、世界で初めて組織的な商品先物市場(米市場)が作られた一八世紀の大坂堂島を舞台に、江戸時代の壮絶なマネーゲームを描く、直球の経済時代小説になっている。登場するのは架空の人物のようだが、時代考証に定評のある著者が、徹底した史料調査で当時の堂島の熱気を鮮やかに再現しているので、どこまでが史実で、どこからが虚構か分からないほどである。
江戸の米相場といった珍しい題材の場合、ただ情報を羅列するだけでも知的好奇心が満たされ、そこそこ面白い物語を作ることができる。ところが著者は、自分の見つけてきた素材にあぐらをかくことなどしていない。幼馴染みの変死に不信を抱いた吉之助が、事件を捜査する過程で堂島の“闇”を知るというミステリータッチの展開を採ることで、最後まで先の読めないスリリングな展開と、経済情報やビジネスマン向けの教訓を見事に融合してみせたのだ。犯人は比較的早い時期に明かされるが、吉之助には犯人の動機が分からず告発ができない。そのため中盤までは、動機の解明や人を殺してまで犯人が守ろうとした陰謀のカラクリを解き明かす静かな展開となっている。しかし事件の全体像が判明する後半になると、吉之助が、天才的な相場師でもある犯人を破滅させるため、市場で乾坤一擲の勝負に出るので、コンゲームものとしても楽しめるだろう。
商品先物市場は、本来、価格変動の影響を避けるリスクヘッジとして設立されたが、すぐに投機筋が一獲千金を求める一種のカジノへと変じる。本書を読むと、こうした状況が世界初の先物市場・堂島でも行われていたことが分かり、“濡れ手で粟”を夢見る人間の欲望がいつの時代も変わらないことが実感できるはずだ。それは、一九九〇年代初頭のバブル崩壊で投機の危うさを学びながら、喉元過ぎればすぐに投機に熱狂、昨年のリーマンショックで再び痛い目にあった日本人への警鐘にもなっており、タイムリーなテーマ設定も含め☆☆☆☆。
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