読み終わったとき、口中になにやら苦い味が感じられ、それはしばらく留まったままだった。いや、たぶんそれは、読んでいる途中からしてそうだったのかもしれない。本当のところを書くが、途中、本を放り出そうかと、ほんの少し思ったりもした。なぜかといえば、実に簡単な話だが、主人公、そしてそれを取り巻く人間たちを、作者は徹底的に追いつめるだろうということを途中で確信させられたからだ。そこにはきっと何の救いもないだろう、と予測された。そんな物語を最後まで読むということで、いったい何を得られるのだろう、とそのとき思ったのだ。それでも結局読了まで至ったのは、作者・梁石日がどこまで冷徹に、深く暗く冷え冷えとした穴へ登場人物と読者を突き落とすか、その書きっぷりを読まずにおれなかったからだ。作者の目論みは、僕という読者には充分に達成された。それが口中に広がった苦い味である。僕は何とも言えない後味の悪さからくる苦みを、得たのだ。
主人公は姜英吉。東京でタクシードライバーをしている。大阪に妻子を残して、東京へ出奔してきた。事業に失敗し、借金取りから逃れるために、東京へやってきたのだ。正社員ではなく、毎朝出勤するかどうかの確認を要するアルバイトのような待遇である。当然、収入も低く、借金の返済など及びもつかず、妻子への仕送りも行っていない。まじめにコツコツ働いて、なんとか人生をやり直そうなどという殊勝な気持ちは、そもそも持ち合わせていない。
ある日、集団自殺の現場に遭遇する。車内に練炭を持ち込むというやつだ。一人だけが命を取り留めた。事件の翌日、姜の万年床が敷かれている六畳のアパートを一人の女が訪ねてくる。「目鼻立ちの整った二十五、六の美しい女だった。(中略)肉づきのよい唇が魅力的だった」
立花美津子、生き残った美奈子の姉だった。早くも、妹を助けたことの礼を述べるために訪ねてきたのだ。そしてこの出会いがその後の転落への歯車を回すことになる。
明らかに異常な緊張関係にある、美しく妖艶な姉妹、美津子と美奈子。日常から外れた異常な軌道へ次第に足を向けてゆく姜。
まだギリギリ踏み留まっていなくもないような状態。ここまでは、なんとかこの罠から逃れることもできたはずだ。読んでいて、僕はそれをほんの少しだけ期待していた。というのは、大阪の妻子をどうしてくれるのか、という懸念が頭から離れなかったから。そして、そんな淡い期待は、当たり前のように叶わなかった。作者・梁石日は、姜の運転するタクシーの中に、現金と宝石と麻薬が入ったボストンバッグを誰かの忘れものとして残した。作者は徹底的に追いつめるのだなとわかったのは、ここである。
この後、美津子の夫である野上が登場。物語は急展開で、もちろん、どんどん堕ちてゆく。
色と欲に取り憑かれた人間たちの、何の根拠もない楽観、図に乗った甘え、利己的な裏切りが、これでもかというばかりに披露される。物語の冒頭で、梁石日はタクシーの客の口をとおして、赤字国債により破綻に陥るであろう日本という国の政治家と官僚を批判する。それはもちろん、その場限りの利害や欲望を追求するのみで、将来にわたっての展望や責任を何も持ち得ない日本という国に住む人びとへの批判でもある。
美津子と美奈子が勤め、姜が通う新宿のクラブが「二十一世紀」という名前であり、その隣りには墓地があるという設定なのだが、まさにあからさまだ。欲望の炎がめらめらと燃える「二十一世紀」のこの世は、あの世と隣り合わせなのであり、色と欲に取り憑かれた人間たちはこの間を行きつ戻りつしているのだ。
『冬の陽炎』において、梁石日は痛烈かつ徹底的に人間のどうしようもない本性を暴く。実はサイドストーリーにも男女の色と欲にまつわるドロドロした顛末がふんだんに盛り込まれている。後味が悪いと書いたのは、容赦ない現実が容赦なく描かれているからだ。ある程度は覚悟して読むべし。