ベージュの渋い地色に、濃いめの紺色の明朝体。最初『恋愛小説集』と読めた。おしゃれで上品な「恋愛小説」を集めた本なのだろうな、と思って手に取ったら、あれっ、ちょっと変。「恋」が「変」になってるじゃないの。素直な「恋」なんじゃなく、歪んじゃっているわけだな…。むーん、どうしよう…。じゃまあ、買ってみるか。
と、書店において、1~2分こんな逡巡の後に買ったわけです。たぶん、こんな感じの人が多いのではないでしょうか。人とはちょっと違ったものを読みたい、でもあんまり逸脱したのはどうもね、という潜在意識を実にうまくくすぐる、まずはこれ、ネーミングの勝利ですね。
ネーミングに偽りなし。確かに、おかしなものに恋をする人たちの物語が全11編、詰め込まれている。いや「恋」というより「偏愛」であり、「取り憑かれている」「妄想」という言葉のほうが相応しいといえる。当然の成り行きとして、物語はSFの領域まで入り込み、幻想小説の趣まで感じさせるものもある。作者は10人の英米文学の作家たち。
「家から職場までの間にある、他人の家の木に恋してしまった女」
「皮膚が徐々に宇宙服へと変化し、やがて、そのまま宇宙へと飛び立つ夫婦」
「芝生を刈りにきた素敵な男の子を呑み込んでしまった主婦」
「バービー人形とできちゃった男の子」
「彼女が捕われていると思われる飛行船を追い続ける男」
といった具合だ。
冒頭に収められている「木に恋してしまった女」を描くアリ・スミス作の『五月』と題された一編が、美しさという点で抜きん出ている。1本の木に心を奪われた女。彼女の頭のなかはその木のことで占められ、やがて自宅の床をはがし、その木を移植しようとまでする。恋するあまりに自分の家で面倒をみたいというわけだ。彼女には同居人がいる。一途な彼女に対して、同居人は社会の常識というものを説きつつも、やがて…。
誠に奇妙な「恋」なのだが、その純粋な一途さゆえ、やがて読んでいるこちらにとっても「変愛」だったのが「純愛」に思えてしまうところが、好きになるという行為の恐ろしいところ。そう、その人は実に人間的に、素直に歪んでいるのだということに、読み進むうちに納得させられてしまうわけです。
なにより恋する木への思いを語る連綿とした記述などは、美しい恋文以外のなのものでもないように思えます。
A・M・ホームズ作の『リアル・ドール』はバービー人形とできてしまう男の子の話。これはブラックな笑いを呼び起こす作品として、実によくできている。人間と人形とのグロテスクな関係性を皮肉とユーモアたっぷりにあぶり出していて、むしろ小気味いいくらいだ。
男の子が週三回、妹がダンスの教室に行っている隙に、バービー人形を連れ出す、というところからして可笑しい。精神安定剤をダイエット・コークに混ぜて、バービーちゃんがラリったところでなんとかしよう、というありがちな設定も、相手が人形だけに笑える。そのバービーちゃん、次第に女の本性を露にし、どんどん媚びをエスカレートさせるところなど、もはや妄想でもリアルでもどちらでも成立してしまう小説的なリアリティを充分に獲得している作品だ。人形の本来の所有者である妹の、バービーちゃんへの手荒さ加減も、この年頃の残酷さを的確に表現していて、これもまたリアル。
とまあ、美しい物語からはじまって、必ずどこかの部分に奇妙な偏りをもつ人間たちのさまざまな短編が収められているが、不思議と読後感は偏りが少ない。現実性を帯びた悲惨・凄惨な状況までは決して行かず、その手前で、収束する感じ。なるほどこの絶妙な感触の作品を一冊に揃えたのが、編・訳者である岸本佐知子の手腕なのだなと納得させられた。
ということで読みやすくもあり、幅広い読者に最新の海外短編の魅力を知らせる一冊といえよう。ただし、11編すべてが粒ぞろいとまではいかない。そこが残念。