『ヴァン・ショーをあなたに』は近藤史恵による「ビストロ・パ・マル」シリーズの『タルト・タタンの夢』に続く第2作目。フランス料理店「ビストロ・パ・マル」の三舟シェフが、料理の腕ならぬ絶妙な推理力を発揮して、おもにお客さんの抱えているトラブルを解決してゆくという短編シリーズだ。
その三舟シェフのキャラクター設定については、『タルト・タタンの夢』の表題作で作者が明かしているとおり、俳優・三船敏郎の若かりし頃の姿が基になっている。「長めの髪を後ろで結び、無精髭を生やした、少し崩れたいい男」であるが、愛想は悪い、無駄口はきかない。フランスで修行して帰国し、下町の商店街にある小さなフレンチレストラン「ビストロ・パ・マル」の雇われシェフになった。料理の腕はもちろんいい。
シリーズものなので、脇を固める登場人物も大切。三舟シェフを補佐する料理人、志村さんは、高級ホテルのメインダイニングで働いていた。「パ・マル」はカウンター席もあるオープンキッチンなので、お客さんの相手はもっぱら志村さんの担当だ。金子さんはソムリエ。まだ20代後半だがワイン好きが高じてOLを辞め、「パ・マル」で勤めている。ビストロ唯一人のギャルソンは、本書での語り手も務める高築くんだ。以上4人が「パ・マル」の面々。
ざっと人物紹介が終わったところで、本シリーズの魅力についてであるが、三舟シェフの包丁の切れ味さながらの見事な推理によって解決される結末が、実にホッとする心あたたまる読後感を残すものであるということに尽きる。これについては、杉江松恋さんによる『天使はモップを持って』の書評もご覧いただきたいのだが、近藤史恵の最終的に心地よい方向へ着地する物語に、それを読む者は実に幸せな気分になってしまうのだ。もちろん、料理ミステリーであるからには、その短編ごとに重要な役割を果たす料理も大切。本書においては実においしそうにそれが表現されている。
「ブイヤベースは冷めないように、鋳鉄の鍋でサーブされる。
豪快にぶつ切りにした、金目鯛やホウボウ、ワタリガニやムール貝が、サフラン風味のスープから顔をのぞかせている。
フレンチのブイヤベースといえば、魚はスープとして丁寧に漉し、その後に貝や魚だけを入れた上品なものが多いが、シェフが作るのはもっと野趣あふれる一皿である。
もともと、ブイヤベースはマルセイユの荒くれ漁師たちが作る豪快な料理だ。あまり上品にしては、その個性が薄れてしまうというのが、シェフの持論だ。」…以上は、本書中の一編『マドモアゼル・ブイヤベースにご用心』において三舟シェフのキャラクターも現れた一節。どうですか、食べたくなるでしょう?
今回の『ヴァン・ショーをあなたに』におけるベストの一編は『ブーランジュリーのメロンパン』だろう。三舟シェフもサイドメニューの協力をしていた新しいパン屋のスタッフが開店を前にして連絡がとれなくなった。なぜか。そこでつくるパンの種類についてのスタッフの議論を聞いていて、フランス語もわかる三舟シェフには、想像がついた。あとは読んでください。フランスの味を忠実に再現した(日本では新しい)パンも、日本に昔からあるメロンパンも、両方おいしいと、ミステリーの結末とは別の、うれしいもうひとつの結末つき。
そうそう、この一編では、これまで姿を表さなかったあの人が出てきます。
ギャルソンの高築くんが本書の語り手であると書いたが、今回の後半三編は、実は別人となっていて、意表をつかれた。うち、最後の二編は、三舟シェフ、フランス修行時代の話。最後を飾る表題作『ヴァン・ショーをあなたに』を読むと、きっとあなたも飲みたくなるはずです、「ヴァン・ショー」を。