細野晴臣のつくりだす音楽の熱心なファンではないのだが、細野さんのことは気になる。一般的に細野晴臣といえば、ああ、あのYMOの一番年長の人ね、といったパブリックイメージを持たれていると思うが、アメリカのフォークロックに強く影響された日本語のロックからプロとしての音楽活動をスタートさせた細野さんは、その後、無国籍チャンプルーサウンド、テクノ、アンビエント、エレクトロニカとそのスタイルを変化させ続けている。僕は、そんな振幅の大きな人というのが、どうしても気になるのだ。
さらに、売れた、のはテクノであるYMOだけなのであろうが、常にポップミュージックの最前線のポジションには居続けている。Jポップ界の長老でありつつ、ちっとも偉そうではないところも、いい。というか、実にロック的。表面的には常に変化し続け、こだわりがあるんだか、ないんだか、どうにもつかみどころのないところも、実に気になる。
そんなわけで、『分福茶釜』が刊行されたので、迷わず読んだ。『分福茶釜』は、一言で言えば、細野さんの講話集である。音楽仲間である聞き手、鈴木惣一郎に導かれ、音楽や生活や人生のことなど、幅広い範囲にわたって、自分の意見を述べている。縁側でたたずむ2人の写真がカバーの折り返しに入っているが、まさにそんな感じの問答が(たぶん、あの低音のボソボソッとした声で)繰り広げられるのだ。
細野さんは1947年に東京に生まれた。すでに還暦を迎えているわけだが、子供の頃はおばあちゃん子だったという。家族があって、親戚がいて、隣近所があって、路地があって、町がある、という平成の日本が失くした関係性・空間性のなかで育ち、いまもそういったことに強いこだわりがあるという。いわく「最近みんなが『サザエさん』を読まなくなったからダメになったんだ」。そこで何かを教えてもらおうというのではなく、読んだ丸ごとのなかに悲喜こもごもがあり、それが大事なのだ、と。
この空気感を大事にする姿勢は音楽づくりと密接に結びついていて、最近もまた「そのことを痛感し(中略)その場の空気と音をまるごとひとつのマイクで録るっていう、その豊かさを取り戻すことが必要」と語る。
「全部空気を削ぎ落として『音』だけにしちゃって、音を鳴らしているのは空気だってことを忘れてしまった。(中略)空気を切り取るということは、宇宙の断片を切り取ることだから。そこには、すべての情報がまるごと含まれているんだよ。宇宙全体の情報が」
そしてロックの未来については「ぼくみたいなのがまだやり続けているわけだから、(中略)初めての時代を迎えるんだよ。自分でも面白くてしょうがない」と語る。「でも、アメリカと日本だけはダメ。年をとることに恐怖を持っていて、年寄りを排除しようとしている。本来、芸能はそんなもんじゃない。たとえば、沖縄の民謡や落語は老人になればなるほど味が出てきて、聴けるものになってくる。ロックも今後、そういう風になっていく可能性がある」
細野さんはアンチエイジングに大反対。「年をとるのは楽しい」という。僕もそういう世の中になればと思う。高齢者続々の日本、はやいところ、いまとは逆のそんな世の中の風潮が定着することが大切です。
なんだか、まっとうなところをいくつか紹介してしまったが、もちろんおかしなところもある。たとえば「音楽をやっていると部屋を片付ける時間がなく、家は帰って寝るだけの場所なので、いつもソファで寝ている。寝る準備をしないで失神するみたいに寝るのが好き」とかね。(もしかして、実はワーカホリックなのだろうか?)
ちなみにこの本、細野晴臣の人間性に迫ろうなどとはつゆほども考えられていないので、読み終わった後も、細野さんのつかみどころのなさは、ほとんど解消されません。細野さんは相変わらず謎の音楽家である。