「ロマンス小説が好き」と言ったとき、自分の中に一抹のカミングアウト感が残るのはなぜ? 相手が微妙な表情になるのはなぜ? 今、あなたも思ったでしょ? 「あのワンパターンで現実離れした軽い恋愛もの?」って。確かに恋愛ものである。「恋に落ち、結ばれる」のがロマンス小説の世界基準。しかし、本当にワンパターンで現実離れしている軽いだけの作品なのか。そこを検証したい。できればその面白さを実証したい。そしてその社会的地位を向上させたい! そこで今回はまず、王道的ストーリーを例に「本当にワンパターンなのか否か」を見てみたい。
材料その1は『恋愛運のない理由』。ファンタジー作家として活躍するアデルは恋愛運がないのが悩み。ちょっとよさそうな男と出かけても付き合い始めるとうまくいかない、そんな状態が3年も続いている。ある日アデルは、出産のために実家に帰る姉から同行して欲しいと頼まれる。彼女にとって故郷テキサスは、初恋の人であるザックに裏切られた苦い思い出の残る場所。大学以来、帰っていない。姉に押し切られて帰省したアデルの前に現れたのは、14年の月日を経てさらに魅力的になったザックだった。
初恋の人との再会物語である。もちろんポイントは、若かりし日は訳あってハッピーエンドを迎えられなかったザックとアデルが、今度は困難を乗り越え、幸せをつかむことができるのか。しかしこの2人、意外に素直で順調なのである。好きな気持ちは早い段階で認めるし自分の欲望にも忠実、相手の欲望にも寛容で、結構あっさりベッドイン。
だからと言って問題がないわけではない。問題はそれ以降なのだ。2人とも過去の経験にとらわれ、疑心暗鬼になっている。寝たはいいけど、やっぱり傷つきたくない。「これは愛じゃない」と自分に言い聞かせる2人が、本当の愛に気がつけるかが読みどころなのだ。
では、ここで材料その2『侯爵に甘いキスの作法』を見てみよう。舞台はヴィクトリア朝末期のイギリス。マリアは自分の店を開くことを目標に頑張るパティシエだ。ある日ようやく、理想の店舗物件を見つけるが、その持ち主が幼馴染のケイン侯爵ことフィリップであることが判明する。ある事件が原因で関係を断っていたが、再会をきっかけにお互いへの想いが再び燃え上がる2人。しかし素直になれずに、その気持ちを押しとどめようとするのだった。
こちらは12年ぶり。好意という土台は子ども時代にできているし、あとはそれをどう表すかが問題。しかしこの2人はアデルとザックほど素直ではない。マリアは過去の事件に、フィリップは紳士であることにこだわりすぎて、自分の気持ちを認められない。なんと言っても「ご婦人と肉体関係を持ったら、紳士は責任を取るべき」「未婚のご婦人が男性と2人きりでいるのははしたない」時代である。ベッドインどころか、手を触れるまでに越えなくてはならない心とマナーのハードルの数が多すぎる。
つまりこの2作品は、物語のベースが同じであっても、結ばれてから「真実の愛」に気がつくまでが問題なのか、「真実の愛」に気がついてから結ばれるまでが問題なのか、恋愛タイムラインにおける困難の発生時期が異なるのである。
これがロマンス小説の楽しみどころだ。困難がどこに出てくるか、どこまで引っ張るか。困難の質だって様々である。ザックやアデルのような軽トラウマ系あり、フィリップのような「紳士たるもの」的自縛系あり。マリアは「今はお店で手いっぱい」な男より仕事系。
恋の数だけ、男の数だけ、女の数だけ困難がある。物語の流れより困難のディテールで勝負。土台となる物語は確かに古典的で、今回のように同じパターンを使う作品も見られるが、楽しむべきはそのディテール。ということで、次回以降はその味わい方を考察していきたい。まずは今回も登場したディテールのキモ的存在「困難」。これをどう楽しむかを探ってみよう。