数年前に尊敬する漫画家のお宅を訪問したときのことである。お名前を言ってタクシーに乗れば判ると前もって教えていただいていたので、駅前のロータリーで車を拾った。教えられた通りに行く先を告げると、初老の運転手は言ったのである。
「あ、あのパチンコの人の家ね」
と。
違う、それ、いろいろ途中をすっ飛ばしてるから。漫画が何度もアニメ化されて、ゲームやらなにやらで版権ビジネス展開して、そのうちの一つがパチンコ台だったにすぎないから。だいたいお前原作を読め! というかあんたの年齢でもう関心はないかもしれないけど、傑作なんだから読め!
などなどと言いたいことを押し隠し、タクシーに揺られた昼下がりでありました。
アニメ作品はなぜパチンコ台のキャラクターとして使われることが多いのか。
以前から私はその疑問を感じていた。いや、アニメ以外でもパチンコ台に採用される作品は多々ある。私がまだパチンコをすることがあった1990年代には「CR黄門ちゃま」という台が大ヒットしたが、あの台ではたしか、大当たりをするとTVドラマ「水戸黄門」の主題歌のインストゥルメンタル曲が流れたのであった。しかし東野英治郎や西村晃、佐野浅夫はおろか、高橋元太郎も出ていない。液晶画面に表示されたのは、二頭身にデフォルメされたアニメのキャラクターだったのである。最近では「暴れん坊将軍」や「必殺仕事人」などの時代劇作品がパチンコになっているらしいが、それらの台にオリジナルの役者が登場しているのかどうかは知らない。
「黄門ちゃま」の記憶から漠然と私が思っていたのは、アニメ作品がパチンコ台に採用されやすいのは、絵で書かれたキャラクターのほうが、実在の役者さんの映像を出すよりも、液晶画面で表示しやすいからなのではないか、という解答だった。安藤健二『パチンコがアニメだらけになった理由』を、自分の答え合わせのようなつもりで読んだ。
安藤健二はなんらかの理由でTV放映ができなくなったり、単行本が絶版になってしまったりした作品の事情を追ったルポルタージュ、『封印作品の謎』で名を上げた、新進気鋭のライターだ。その安藤のところに編集者の田野邊尚人から電話がかかってきたのが、そもそもの始まりだったのである。田野邊は、こんな噂を聞き込んでいた。
「(パチンコ店の経営者は)戦後の焼野原からパチンコ店を発展させた初代と違って、二代目以降は親の金で裕福に育ったボンボンが多い。彼らにアニメオタクが多いから、アニメのパチンコ台が増えた」
というのである。噂は眉唾ものだったが、安藤は取材を決意する。アニメがパチンコ台になる理由をつきとめようとしたライターは、いまだかつて存在しなかったからだ。誰もやってないことだからやる価値がある。そう決意した気持ちは、同業者としてよく判る。
パチンコ業界のことを少しでも調べたことがある人なら、この時点で安藤の取材が難航するだろうと予想するはずだ。安藤と田野邊はパチンコに関してはまったくの門外漢。その二人が、大ヒットしたパチンコ台は『新世紀エヴァンゲリオン』だからという理由で、取材の初めに秋葉原のパチンコ店に挑戦しに行くのがおかしい。「ハマるとお金がいくらあっても足りないので、2人で5000円を上限にしましょう」と言い交わして入店するのだが、もちろんそんな額で買った玉など、一瞬で飲まれてしまっておしまいなのである。予想通りの結果に終わり、呆然としたところで安藤の取材は本格的に開始される(なぜか杉作J太郎に綾波愛を聞きに言っているのがこれまたおかしい)。
本書がパチンコのルポルタージュとして優れているのは、安藤の視点が、非パチンコファンに合わせられているからだ。「確変(確率変動のこと。大当たりになる確率が一定の期間上昇する)」くらいはやや一般化しているが、「CR機」になるとパチンコを打たない人にはまず縁のない言葉だ(現在の主流となっている、プリペイドカードを使った玉貸しシステムのパチンコ台のこと)。特殊な知識がないと、パチンコ関連の文章はまったく理解できないものになってしまうが、ずぶの素人の安藤が自分の知識の空白を埋めていく過程をそのままに晒しているため、パチンコに関心がない人でも判りやすくなっているはずである。グッジョブ! 必要な数値も適切に示されており、なめらかに論旨がのべられている(たとえば、2009年に製品化されたタイアップのパチンコ台は76種あり、全体108種のうちの約7割。そのうち32種がアニメからのものだという)。
自分はアニメにもパチンコにも別に興味がないんだけど、という読者も多いと思うが、未知の世界を探検するようなつもりで読んでもらいたい。安藤は初め正攻法で取材対象に挑んでいく。アニメを題材にしたパチンコ台が大ヒットし、後継機も売れに売れた――となれば、そのパチンコ台メーカーに話を聞きに行くのは当然の判断だろう。しかし、駄目なのである。次々に門前払いを食らわされてしまう。それも、とても納得しがたいような奇妙な理由で、だ。この困難な状況をどう打破していくかが本書の読みどころである。
パチンコ業界はもともと極端に閉鎖的な体質を持っている。それを知っているからこそ、他のライターはこの題材に挑戦しようとしなかったのだし、一般誌・紙でパチンコ台の製作秘話などが語られることがほとんどないのだ。しかし安藤は挑戦を続け、ようやく1社で取材に成功する。そこで明らかになるのは、アニメファンの思惑などまったく関係がない、極めて現実的な製品開発事情だった。言われてみれば、たしかにそのとおり。私の予想がどれだけ当たっていたかは、実際に本を読まれた方の判断にお任せしたいと思う。
本書を読むべきなのは、おそらくはアニメファンの方だろう。アニメ作品がパチンコ台になることを手放しで喜ぶファンは、少数派のはずだ(アニメでもパチンコでもないが、リラックマがパチスロ化されるという報道に対して、キャラクターの原案者が困惑気味のコメントを出していたことを思い出す。その前にはコンドームになったこともあるのに、パチスロだとやはり対応が違うのだ)。「なぜアニメをパチスロにするのか」という問いに対して「キャラクターを利用して稼ごうとしているオトナがいるからだ」と答えるだけでは不十分。安藤は本書の終盤で、パチンコ・マネーによって命脈が保たれているアニメ製作会社が存在することを指摘している。深夜アニメ→DVD化というビジネスモデルが崩壊し、新規に収入源を探さなければならなくなったとき、パチンコ業界と結びついた製作会社があったのである。遊戯者人口の減少が続いているパチンコとそうした形で結びつくというのは、アニメ業界にとって先行きの明るい話ではないと私は考える。
ちなみに、安藤の取材申し込みに対し、ロイヤリティを支払うよう要求してきたアニメ製作会社があったそうだ(武士の情けにより特に名を秘す)。「洋泉社さんもビジネスで出版されると思うので、それであれば著作権使用料を予算化されるよう、安藤様からもご提案していただければと考えます」という要求に、安藤は「言論の自由は憲法で認められているため、ロイヤリティの支払いは拒否する」と返答したという。貧すれば鈍する、ではないことを、その製作会社のために祈るばかりである。
また、本書のついでに若宮健『なぜ韓国は、パチンコを全廃できたのか』(祥伝社新書)を読んだことも報告しておく。著者はパチンコが社会にもたらす悪影響を訴え続けてきた人で、パチンコを憎む余りの過剰な表現や、いわゆる悪文に属する文章が続く箇所が多くて、決して読みやすい本ではないのだが、パチンコをめぐる現状を知るにはいい本だと思う。