小学校のときの家庭科の先生が、エキセントリックな人だった記憶がある。
口癖は「~すると、死にます!」。分岐の多いアドベンチャー・ゲームみたいに、何かをするとすぐ「死にます」と言われるのである。
「裁縫の針をしまうとき、本数をきちんと数えなければいけません。もし間違えて体に刺して、その針が血管を通って心臓に届いてしまったら、死にます!」
「ガスを使うときは換気に気をつけなければなりません。もし不完全燃焼に気づかずに窓を閉め切ったままにすると、死にます!」
「青い梅を食べてはいけません。死にます!」
とにかく一時間に一度は死ぬことになるので、先生の授業を受けるのは正直怖くてしかたなかった。それだけ心配性の先生だったのかもしれない。今でもお元気なのであろうか。
私が中学時代を過ごした昭和五十年代は、中学校以上には家庭科の授業がなかった。現在の学習指導要領では、男女機会平等の見地から共修科目になっているはずである。『正しいパンツのたたみ方』の著者・南野忠晴は、もともと大阪府立高校で英語科教員を13年間務めたあと、家庭科教育の重要性に目覚め、家庭科で教員採用試験を受けなおしたという人物だ。転身を考えることになったきっかけは、受け持っている高校生たちの授業態度が悪いのは、やる気の問題ではなく、生活の乱れに原因があるのではないか、と気づいたことだという。正しい生活のリズムとは、と独学で勉強を重ねているうちにおもしろさに目覚め、家庭科教員を志すようになったのだ。
受験科目ではない家庭科は、体育や芸術(音楽・美術・書道)とともに、中学や高校では「副教科」と呼ばれることが多い。主要教科と比較しての「副」教科である。そうした呼称に科目軽視の思想があることは否めないが、南野は入試に直接関係しないからといってこうした科目の真のおもしろさを味わわずに卒業するのは損であるとし、三つの教科を以下のように再定義している。
・保健体育=身体の感性をみがく教科
・芸術=心の感性をみがく教科
・家庭科=暮らしの感性をみがく教科
上二つに関しては特に説明不要だろう。「暮らしの感性をみがく」だけ、若干補足しておきたい。タイトルの『正しいパンツのたたみ方』の意図するところは、この点にある。
ことの起こりは、南野が教員の勉強会でAという先生から相談を受けたことだ。A先生は妻と共働きであり、家事も相応に分担している。ところが一つだけ悩みがあり、何度やっても妻からはパンツの畳み方が「また違ってる……」と駄目出しされるのだそうだ。あまりにもそれが続くので、洗濯物の山を見るだけでも気持ちが沈むようになってしまったという。
あなたなら、このA先生にどんなアドバイスをするだろうか?
先走って言ってしまえば、「模範解答はない」。ケースバイケース、それぞれの暮らしぶりや、立場・考え方、そうした要素をすべて加味した上で、その人なりにどうすればいいかを考えるのが家庭科という教科における基本だからだ。多様性が存在することを是とすることから始まる、と言い換えてもいい。考え方を一つの型枠に押しこめることを推奨しないのだ。本書の肝はそこにある。パンツのたたみ方一つとってみてもさまざまであり、どれが正しいかなんてことは、到底決められるものではない。
――暮らしというのは、複雑かつ多様な営みです。働くことも、遊ぶことも、食べることも、眠ることも暮らしですし、自分や自分の家族の外にある、たとえば近所付き合いやボランティアといったことも暮らしの一部です。そのあり方はまさに百人百様で、ひとつとして同じ暮らしはありません。それは一人ひとりが快適だと思う基準が違うからです。
ですから、自分にとって快適であっても、他人には快適と思えない場合もあることを想像できる感性が必要です。先に、家庭科は暮らしの感性をみがく教科であると言いましたが、それは自分の暮らしを整えることだけにとどまらず、この社会のなかで他者とともに生きていく力を身につけることでもあるのです。
本書は岩波ジュニア新書の一冊として刊行された本であり、中高生を主要な読者層としている。上のような導入から始まり、四つの観点からの自立を促すことが本の最終目的になっている。すなわち「生活的自立」「精神的自立」「経済的自立」「性的自立」だ。ざっと読んでいただければわかるが、成人の中にも、これら四つの自立を完全に果たせていない人は多いはずだ。中高年の男性の中にはいまだにいるであろう家事がまったくできない人は、生活的自立が果たせていないのであり、最近問題にされることが多くなってきたDVやデートレイプの当事者になっている人は、たぶん性的自立という面に脆さがある。
いや、そうした境界例を取り上げるまでもなく、南野が家庭科教育の大前提として掲げている、「社会のなかで他者とともに生きていく力を身につけること」は、学校を離れてからも学習し続けていくべき、重要課題の一つなのである。「暮らしの感性」を磨くことは、生涯学習の機会を常に持ち続けていくことと同義なのだ。本書を中高生の子供たちに与えるのも悪くないが、まず読んでみるべきは親の側だと私は思う。
紹介されている事例はなかなかに魅力的だ。たとえば、南野は、生徒たちに「家族」の定義を問う授業を行っているという。「お父さんとこどもたち」「お母さんとお父さんと子どもたち」「結婚していないふたりのくらし」「障害をもった人と介助者の暮らし」といった、異なるパターンをいくつか紹介し、どれを家族と思い、どれを思わないか、手を挙げさせるのだ。そうした問答から、人によって家族のありようはさまざまであることに気づき、多様性を受け入れようという姿勢が芽生えてくる。「定形化されステレオタイプ化された家族イメージを生きることが必ずしも「幸せ」につながるわけでは」ないと、自ら発見するための授業なのである。この章に限らず、私は本書からたくさんの示唆を得た。
付記:生涯学習というテーマに関心があり、アンテナに引っかかった本を読んでみた。新書は知識の幅を広げるのに格好の入門書だ。いろいろな新書の書評を、ぜひ書いてもらいたい。