映画版『ノルウェイの森』を観た。湿度を含む野性的な情景を撮らせたら右に出るものはいないトラン・アン・ユン監督のエキセントリックな吸引力と水原希子の初々しい演技力は、1か月以上経っても忘れがたく、村上春樹の原作を読み直すことでようやく落ち着くことができた。『ノルウェイの森』の設定は1969年だし、今読んでも全然リアルじゃないけれど、ここに構築されている世界は、いまだに現代人をどっぷりと浸らせ、翻弄させる力をもっている。同時に、この物語の中に一貫して流れる冗長で緩慢でノスタルジックな時間は、世の中から既に失われてしまったもののような気がした。はたして現代は、一体何がどうなっちゃったんだろう。
その、ひとつの答えがLiLyの『こぼれそうな唇』ではないかと私は気がついた。キャリア志向の彩と結婚願望の強いエミリ。異質な2人の女の立ち位置が、情けない1人の男をめぐる三角関係の中で描かれる恋愛小説だ。
ちなみに『ノルウェイの森』も、2人の女と1人の男の三角関係がベース。2人の女は対照的なタイプであり、男は結局のところ無力である。
スタイリストのアシスタントをつとめる彩は、恋愛も仕事も大切にしているが、プライドが高く、どちらかというと、自分の夢でもあり努力次第でステップアップできる仕事のほうを優先させる傾向にある。
「男がいないことに、拭い去れないほどの孤独を感じていたのはつい数時間前のことなのに、たった一本の仕事の電話が、私のテンションをどん底から頂点にまで、一気に引き上げた。気になる男からの返信なんてどうでもよくなるくらい、新しい仕事の依頼は、思いっきり私を興奮させた」
わ、なんて現実的なんだろう。まるで今日の私みたい、と仕事好きの多くの女が思うだろう。
一方エミリは、ひとりの男にすがり、愛し続ける女だ。キャリアアップのわかりやすさに比べ、男の可能性や恋愛の未来は読みにくい。こんなダメ男を信じ続けるなんてバカじゃないのと途中までは思わせるが、最終的に、その一途さが彼女の本能的な強さに根ざしていることが説得力をもって描かれるのは感動的だ。
「こんなにも女々しい俺に、こんな男らしい台詞を、言わせてくれる。そんな君に、本当は俺が、守られているのかもしれない」
こうして3人の視点から語り継がれる現代の物語は、あまりのリアルさにページをめくる手がとまらない。
『こぼれそうな唇』では、携帯での会話やメールのほか、ツイッターのつぶやきやダイレクトメッセージが効果的に使われる。コミュニケーションのための便利ツールが、不器用な人間を一瞬にして悲しみや歓喜の渦に放り込んでしまうライブ感は、誰にとっても他人ごとではないと思う。
『ノルウェイの森』においては、手紙と電話が重要なコミュニケーションツールであり、どちらも伝えたいことを伝える手段として有効に機能している手応えがあった。ふだんの会話でも面倒なことを好き放題言い、届くかどうかさえあやふやな手紙には、さらに長々と一方的に書きつけることができた時代なのだ。
軽快で迅速なコミュニケーションが主流になった今、冗長な会話やメールは重く鬱陶しい。うざい、こえー、しつけーと思われないように、すべてを短くおさめ、疑問符もつけず、無視されても平気なふりをして、都合の悪いものは即座に消してしまう。重要な問題にも瞬時に決断をくだし、刹那的ジョークで勝負に出なければならないのだ。求められる瞬発力のハードルは高いけれど、でも、だからこそ、こんな時代にものをいうのは、本能的な勘なのである。
便利なシステムのおかげで、つまらない悩みは増えたかもしれない。うちのめされる気分を味わう頻度も増えたかもしれない。でも、メリットだって大きい。携帯を手にしたままベッドで泣き明かすことはあっても、それはたった一晩のこと。システムの長所に目を向ければ、気持ちを切り替え、次々と変わる状況に対応し、よりよい解決を目指すこともできるのだ。ときには奇跡を招くことだって。
本質的に人は、いつの時代も変わらないのだろう。だから早さにも軽さにも身体はついていけない。私たちは、悩みから早く立ち直れるようになったわけでも、悲劇を軽く笑い飛ばせるようになったわけでもない。新しいシステムはいつだって本能の踏み絵だ。自分のいい面を引き出すか、悪い面を露呈するか。うまく使うか、悪用するか。人間の真価が簡単に問われるのだ。だったらうまくリズムに乗って、こんなものには負けないで、ちゃっかりうまく利用して、美しく生きていこうよっていうのが『こぼれそうな唇』の教えだと思う。
『ノルウェイの森』のような死の影は少ない小説だが、現実にはストレスで自殺する人も多い時代だ。大きな希望をもちにくい時代をサバイバルする方法。それは日々、小さな成功体験を重ね、身近な人と喜び合うこと。うまくいかないときは、ごく普通の言葉で励まし合うこと。『こぼれそうな唇』からはそんなメッセージが伝わってくる。だけど、そんなささやかであたたかい場所にたどりつくのが今、どれほど大変なことか。気を遣うことなく本当の気持ちを吐露できる場を見つけることが。
『こぼれそうな唇』は、ストリートに近い最前線の言語感覚とファッションセンスによって、スタイリスト、エステティシャン、マツキヨの店員、ITベンチャー社員らのハードな日常が描写される。それぞれの仕事を支えるそれぞれのあたたかい場所が、うらやましくてたまらない。
「私は、エミリを心の中に飼う彩なのかもしれない」とあとがきに書く作者のLiLyは、2人の女をハッピーエンドに導く。もちろんそこは終着点ではないけれど、少なくとも今後の自信につながる幸せの実感を、彼女たちにプレゼントするのだ。それは、ひとさじのやさしさという魔法だ。過去の何気ない細部を美しく変貌させる、この小説の構造そのものを読者は学ぶべきかもしれない。それは、私たちの日常生活をも変える力を持つだろう。