人間だれしも一生に一度の幸運に恵まれるということはある。暇で暇でしかたがなかった大学時代、腹を減らした野良犬さながら鼻をひくつかせ、そのころはまだあちこちにあった小汚い古本屋(古書店、などという立派なものではさらさらないし、現在ロードサイドにあふれている明るく照らされたパチンコ屋のようなチェーン店とも違う、暗く狭く薄汚く埃っぽい、穴ぐらのような店だ)を手当たり次第にかぎ回っている、そんな時代に、私にとっての、それはやってきた。
いつものように講義をさぼって、難波から日本橋への道をてくてく歩きつつ、道中に点在する古本屋をかたはしから冷やかして回っていた。そして道頓堀のすみっこにある、とあるすすけた古本屋に首をつっこみ、引っかき回して、たいした収穫がないのに肩を落として店を出ようとしたその時、ふと店先の、百円ワゴンの日焼けした文庫本の山に、ハヤカワ文庫版の山尾悠子『夢の棲む街』が目に止まったのである。
なんの気なしにつまみ上げて、ページに目を走らせたときの身震いするような衝撃は、まさに雷に打たれたというべきものだった。私は眠そうな老店主にあわてて百円玉を放りだし(当時は消費税などという小うるさいものなど存在しなかったので)まるで宝物を隠した泥棒のように、カバンを押さえてこそこそと道頓堀の雑踏を引き返したのだった。
山尾悠子、という名前は、一般の人にはあまり知られていないことと思うが、当時においても現在においても、知る人ぞ知る第一級の幻想小説家である。
私自身、『夢の棲む街』を買ったときはその名を知らず、あとになって、購読していた『季刊・幻想文学』誌の誌上にその名を発見して、ようやく自分が手に入れた宝物の価値を知り、身の震える思いがしたものだった。二十年前の当時、すでに山尾悠子は長期にわたる活動休止状態に入っており、『夢の棲む街』は、入手困難な稀覯本として、その筋の本としてはとんでもない価値をもっていたのである。
そんなものを百円の棚から釣り上げた幸運もさることながら、『山尾悠子』なる作家が誰だか知らずに作品を読んだことも幸運であったと思う。変色したページをそっとめくりながら、そこから立ちあがってくる奇妙で鮮烈なイメージの数々に、私は文字通り酔いしれた。〈夢喰い虫〉の徘徊する円形劇場、畸形の天使たちが充満する屋根裏部屋、美しい足たちがひしめく劇場、人魚のひそむ娼館、鳥籠に閉じこめられた侏儒。腐爛してゆく薔薇のような、胸苦しい夢に充ちながらあくまで静謐で端整な文体は、私がそれまでまったく知らなかったものだった。
それから長いあいだ、『夢の棲む街』は私が唯一持っている山尾悠子の本だった。ほかにも一、二冊の長編はあったのだが、当時の私には調べる手段も、また、手に入れる手段もなかったのである。
それが一変したのは平成十二年、国書刊行会から『山尾悠子作品集成』が刊行されたためである。私は狂喜してそれを二冊買い(一冊は読むために、一冊は保存用に)、これまで読んだことのなかった他作品にふたたび酔いしれた。ただしこれには、著者の意向により初期長編の『仮面物語』と、コバルト文庫に書き下ろされた『オットーと魔術師』、および短歌集『角砂糖の日々』は入っていなかったので、そのあたりは自分でそろえた(さすがにそれくらいの知恵と資力は持つようになっていたのである)。
現在、山尾悠子は再び活動を再開しており、『ラピスラズリ』『歪み真珠』、『白い果実(※金山瑞人・谷垣暁美との共訳。ジェフリー・フォード作)』(いずれも国書刊行会)等、間をおきながらも作品を世に出している。しかし、どれも気軽に他人に勧めるにはかなり高価で、しかも人を選ぶ。ましてや大著である『作品集成』は6000円を越す。いかに人に勧めたくとも、さすがに気軽に「買え」と言える値段ではないし、だいたい私だって、大事な宝物を他人に貸し出したくはないのである。
そこにこのたび発刊された、『夢の遠近法』である。これは、大部である『作品集成』の軽量版ともいえる一冊であり、山尾悠子の初期作品のおもなところがほぼすべて収録されている。しかも1800円という廉価版。もうこれなら自信を持って誰にでもお勧めできる。単行本未収録の著者エッセイも収録されており、『作品集成』を持っていてもお得だし、軽量版だからこそ気軽に手にとれるという利点もある。
故・澁澤龍彦氏とその著作は私の十代後半から二十代における心の師であったが、氏が季刊・幻想文学誌主催の、幻想文学新人賞第二回講評にて書かれた言葉は、今でも私がものを書くとき、常に心に置いている箴言である。いわく、
『夢みたいな藻雰囲気のものを書けば幻想になると信じこんでいるひとが多いようだ。もっと幾何学的精神を! と私はいいたい。明確な線や輪郭で、細部をくっきりと描かなければ幻想にはならないのだということを知ってほしい』
この選評が掲載された『幻視の文学1985』は今でも『季刊・幻想文学』のバックナンバーといっしょに私の本棚に収められているが(ちなみにこの賞、第一回受賞者は現在のホラー・SF作家の牧野修氏、第二回受賞者二人のうち片方は、現在の推理作家・芦辺拓氏である)、一読即座に、ファンタジイの書き手たることを志しはじめていた小娘の胸に、ずしりと響いた言葉である。
もっと幾何学的精神を! この一言が、『夢の遠近法』収録のエッセイによって、山尾悠子の胸にも同じ響きを遺していたことを知って、勝手ながらくすぐったいような喜びを感じている。私が山尾さんのような(と気安くお呼びしていいのかどうかわからないけれども)小説を書けることは永遠にないだろうが、それでも、同じ言葉を読んで同じ衝撃を受けていらしたことに、共感というか、空のかなたのお月様の住人と、ちょっぴり目をあわすことができたような、そんな嬉しさである。
ともあれ、この「幾何学的精神」あふれる山尾悠子の幻想世界を、できれば多くの人に共有してもらいたい(本当は私だけのものにしておきたい気もちょっぴりあるが)。『夢の遠近法』は、そのための絶好の入門書である。本当の幻想小説、触れれば血を流すほどに鋭いエッジをもった夢想というのがどんなものか、ぜひ味わってもらいたい。