★ミステリーを超えたメタフィクション性
これ一体、何のジャンルなんだ! 一読しての印象はそんな感じです。
本書は「本格ミステリマスターズ」というシリーズの一冊、しかも冒頭には首なし死体発見を報じる架空の新聞記事が配されているわけですから、ミステリーであることは間違いない。ところが読者は数ページ読んだとたん「これ、ほんとにミステリーなのか」と、戸惑いを覚えることになるでしょう。というのも本書の冒頭部分では、関西のサエない女子大で日本文学を教える、主人公の悲喜劇的な毎日が、延々と綴られているからです。
主人公の桑潟幸一助教授演じる、非モテでイケてない日常の描写は、筒井康隆の『文学部唯野教授』や、高橋源一郎の『日本文学盛衰史』のような、日本文学を題材にしたメタフィクション、ないしはパスティーシュ文学を彷彿とさせます。あまりの情けなさに抱腹絶倒しつつ、百数十ページを読み進めるうち、ようやく殺人事件の推理がスタート。ここでミステリーファンの読者は、胸を撫で下ろすことになります。
ところが物語が進むに連れて、再び雲行きは怪しくなります。筒井康隆の『パプリカ』よろしく、物語は桑潟助教授の夢の内部に入り込み、現実世界での謎解きと夢の内部での謎解きの間を、右往左往しだすからです。しかも物語の合間には、架空の雑誌記事や新聞記事が至る所に挿入され、ついには作者である奥泉光その人までが登場してくるのです!
おまけに作中人物は、自分が小説中の登場人物であることを知っており、自分たちの行動が定石に沿っているかどうかを寸評したり、どうすれば「死亡フラグ」を立てずに行動できるか、互いに相談しあったりします。「これ、最後は奥泉光が出てきて『犯人は私です』なんて名乗りだすオチじゃないのか」などと、メタレベルでハラハラさせられるほどです。
また本書の文体の所々には、近代以降の小説としては饒舌すぎるほどの語り手が顔を出し、登場人物にツッコミを入れます。こうした「語り手の不透明さ」については、巻末に附された千野帽子による解説が充分すぎるほどの説明を加えているので、私が書き加えるべきことはほとんどありません (編集部注:千野帽子の解説は単行本版のみ。文庫版では削除されています)。 あえて付け加えておくならば、あまりに強いそのメタフィクション性の故に、千野帽子という人物その人までが「奥泉光の創作による架空の人物である」という流言飛語が飛び交ったという、それ自体メタフィクショナルな事件があったことくらいでしょうか。
★偽史世界とプラトンの世界
そしてもう一つの本書の魅力は、全編を彩るトリビアルな知識の洪水です。このあたり、本書ではくだくだしい説明は省いてあるので、気になった言葉をネットでリサーチしながらの読書をお薦めします。なかでも明治41年に起こった中学生の溺死事件「七里ケ浜事件」をめぐる顛末や、いわゆるトンデモ系偽史の世界観、そしてプラトン哲学についての知識があると、本書の面白さはぐっと倍増します。「七里ケ浜事件」については柄谷行人の名著『日本近代文学の起源』を、トンデモ系偽史については長山靖生の『偽史冒険世界―カルト本の百年』を併読していただくとして、ここではプラトンについてちょこっとだけ解説しておきましょう。
プラトンはギリシャ時代の哲学者ですが、きわめて原理主義的な人でした。彼は現世的な汚辱に汚されたものを憎み、無垢な始原状態にあるものを愛しました。たとえば無垢な少年との同性愛や、永遠不変の幾何学的原理、そして幾何学的原理に基づく音楽や、「天球の音楽」としての天文学といったもの。つまりは静謐な調和の中で静止する、抽象的な原理の美を、プラトンは愛していたのです。
またいっぽうでプラトンは、人を惑わす演劇や劇詩人を追放し、耳に心地よいだけの大衆迎合的な音楽も、人を柔弱にするとして禁止しようとしました。政治においても彼の理想は、宇宙の原理を知る哲学者によるエリート指導体制であり、哲人政治にノイズを持ち込む民主主義には反対でした。
私有財産を否定して、全財産を共同所有し、妻も「共同所有」にする。子どもは家族と切り離して集団養育し、女性も半裸で男性同様に肉体を鍛え、戦闘行為に参加させる。要するに彼が理想としたのは、全構成員が性差も個性もない同一の要素として結合し、宇宙を動かす抽象的な原理に従い、殺戮機械として行動する世界でした。いうまでもなく彼の理想は、現実のノイズに満ちた世界では存在し得ません。それはいわば彼岸にだけある、死の王国だったと言えるでしょう。
ちなみにプラトンはアトランティスの実在を説いた人でもあり、彼によればこの大陸は、こうした原理主義を見失ったがために、海の底に沈んだということになっています。抽象的原理のもとで凍結したように生きるか、それとも死か。それがプラトンの示した世界観でした。以上の事実を知っておくだけでも、本書の読後感は大きく変わるはずです。
★周到で緻密な比喩の世界
なお、本書は小さな比喩のなかにも、非常に重要な伏線が張ってあります。たとえば26ページ。ここには弛緩しきった主人公の桑潟助教授の生活を例えて「魂の根底にだらしなさの甘い菌糸がはびこり」という一節が出てきますが、この「菌糸」という比喩は、のちに「粘菌」というキーワードと結びついて、非常に重要な役割を果たします。
あるいは28ページ。すっかり自虐的になった桑潟助教授は、自分など「泥鰌を生飲みしてりゃいいのだ」と自らをくさしますが、これもまた中盤以降に彼が目撃する、「ナマズ」のような怪物的存在を先取りする形で使われた比喩になっています。
さらには33ページ。そんな情けない日常を送る桑潟助教授にも一抹のプライドはあるわけですが、そんなあるかなきかの自尊心を形容するのに、ここでは「熟れた桃みたいに痛みやすいプライド」という比喩が使われています。この「桃」という言葉もまた、ずいぶんあとになってこの物語に登場する「岡山」という地名、そしてこの岡山の地で奇想的な研究に取り組んだ、オカルティストの存在を予告しているのです。
かように本書は一つひとつの比喩に至るまで、実に周到かつ緻密に計算されて書かれています。ミステリー、メタフィクションとして読んでも面白いことはいうまでもありませんが、謎解きだけしか読むべき部分がないといったような作品とは違って、実に読みでのあるテクスト(まさに織物!)となっています。一字一句読み飛ばさず、丁寧に読むことをお薦めします。掛け値なしにお薦めです!