平山夢明は、狡い。
なにが狡いといって、あれだけどうしようもないゲスで下劣で歪みきった最低人間の狂ったダンスをこれでもかと書いておきながら、そこには必ず一抹の詩情が、繰り広げられる血と臓物と汚物と狂気の渦の中心に、痛々しいほど澄みきった美しいなにかが、きらめいて見えるからだ。
それは工業廃水の上に浮かぶ重油のぎらつきが一瞬、オーロラの虹色の閃光を放つように読み手の心を射抜く。それでいて、平山夢明はなにも計算しない。ただただゲスでゲスでどうしようもない下劣な話が俺大好きだからとヘラヘラしている。狡い。そんなこと言われたら正気の人間が太刀打ちできるはずがないではないか。
狡い。
『ミサイルマン』は平山夢明の第二短編集である。
私は『「超」怖い話』シリーズで平山節に出会ってガーンと頭をぶん殴られ、それ以来立派な実話怪談ジャンキーと化しているが、それと同じくらい平山ジャンキーでもある。
平山夢明と名のついたものはなんでも読む。そして期待を外されたことはまずない。いつでもどうしようもない奴らのどうしようもない話を読み、どうしようもない気分になりながらも、そこにチラチラとひらめくドブ川のオーロラの閃光を見る。
どんなに酷い話でも、平山夢明は底が抜けている。平山夢明はガチで狂っている。そして最低人間の最低狂気を愛している。でなければあんな話が書けるはずがない。
長編『DINER』はもちろん、平山作品全般を愛している私だが、『ミサイルマン』をここで取りあげたのは、平山夢明と精神科医の春日武彦の対談本『無力感は狂いの始まり』(扶桑社新書)で、この短編集の中でもフェイバリットのひとつである「それでもおまえは俺のハニー」の執筆裏話を読んだせいである。なんと平山夢明はあれを「夜二時から書き始めて朝八時に原稿送った」そうだ。ちょっと待て、たった六時間であんな話をぶっ書いてしまうのか。なんだそれは。
アル中で腐りきった五十男、子供を放置して事故死させてしまった耳の聞こえない淫売、ヤクザに支配された街、家中を埋めつくす黒電話。最初の一行からここには狂気が煮えたぎっている。疾走する文章とともに狂気は血と糞尿と吐瀉物と精液の臭いを噴き上げてゴボゴボと煮詰まり、そして、ついにラストシーンへ。
狡い。
なにがどう狡いのかは是非ご自分で読んで確かめていただきたい。そうそう、実話怪談と同時に、実話サイコ話の実録本『東京伝説』(竹書房文庫)シリーズ収録の「東京プリティ・ウーマン」も私のフェイバリット平山節のひとつだが、やはり目を覆うばかりの狂った血と肉の惨劇が繰り広げられるにもかかわらず、残るのは『ミサイルマン』所収の諸短編と同じく、何かとても美しく、哀切なものを見てしまったという茫然とした思いだ。
でもきっと平山夢明は「え? オレそんなの知らねえよ、書いたっけそんなの」とヘラヘラ笑うのだろう。
やっぱり狡い。
平山夢明は狡いのである。