ボブ・ディランのアルバム『フリー・ホイーリン』は、中身はもちろんのこと、ジャケットも素晴らしい。ニューヨークのグリニッチヴィレッジの道を、恋人に腕をとられ、肩を少しすくめて寒そうにディランが歩いている。グリーンのコートを着て、彼にぴったり寄り添っている恋人の顔は、輝くような笑顔だ。この若い恋人たちが愛し合い、互いを必要としていることがよく分かる。六十年代のニューヨークの青春を象徴するような写真だ。この時、ディランと付き合っていたスージー・ロトロはまだ十九歳。彼女は十七歳の時にヴィレッジで中西部からニューヨークに出てきたボブ・ディランと出会い、恋に落ちた。ボブ・ディランのファンにはキャリア初期に彼を支えた女性として知られ、『フリー・ホイーリン』のジャケットと共に「ディラン神話」を構成する重要な存在になっている。
だから彼女の自叙伝である『グリニッチヴィレッジの青春』は、ボブ・ディランの熱心なファンにとってはマーティン・スコセッシ監督によるドキュメント映画『ノー・ディレクション・ホーム』やディランの自伝を補完するという意味で興味深いものなのであろう。
私はそこまでのボブ・ディラン・ファンではない。だからこの本を、六十年代のニューヨークの自由な空気を胸いっぱいに吸い込んで青春を過ごした女性の話として楽しんで読んだ。クィーンズのリベラルな家庭に生まれ、貧しくても文化的なバックボーンに恵まれた少女が初恋の渦に巻き込まれ、胸躍るような幸せと幻滅を味わい、「誰かの恋人」ではなく、「自分自身」として歩み始めるまでの軌跡を綴った物語として。
スージー・ロトロはイタリア系の共産党員の両親のもとで育った。彼女の子供時代は左翼家庭の少女には辛い時代だ。スージーは引っ込み思案の性格もあって、地元の高校では友だちに恵まれず、教師からも理解されなかった。外部で知り合った友人たちと週末ごとにマンハッタンに渡り、ワシントンスクエアで演奏されているフォーク・ミュージックを聞きに行くことを楽しみにしていた。高校卒業後、ヴィレッジでアルバイトをしながら、様々なフォーク・コンサートに通う内に知り合ったのが、まだデビュー前のボブ・ディランである。
読む前は二人のロマンスについてもっとくわしく書かれているのかと思ったが、ディランとの関係はスージーにとってグリニッチヴィレッジで過ごした六十年代における大事な一部ではあっても、全てではないらしい。この本はあくまでも、当時ヴィレッジにたむろする若者の一人だったスージーによる六十年代のスケッチである。
フォーク・ブームの波が高まってきた頃で、後に有名になるミュージシャンの若かりし頃の姿も出てくる。まだ十七歳のホセ・フェリシアーノはライブハウスの階段を降りる時にスージーが手を貸すと、ふざけて自分の方がスージーをエスコートしているのだというふりをした。ピーター・ポール&マリーにジュディ・コリンズ、フィル・オークス…。ただ、彼女は時代を俯瞰しているのではなく、あくまでその中で生きていた人で、フォーク・ソングの世界とのつながりも微妙なので、当時のヴィレッジのフォーク・シーンをくわしく知りたいという人には物足りないかもしれない。ディランを可愛がっていたはずのフレッド・ニールの名前は見当たらないし、ディランも影響を受けたというホワイト・ブルース・シンガー、カレン・ダルトンについて何か書いていないかとも思ったが、当てが外れた。
フォーク・ソングの世界とスージー・ロトロの関係が微妙なのは、ディランの恋人ということで彼女が色々と辛い目に遭わされたのと、その閉塞的な世界観のせいだと思われる。ボブ・ディランがレコード・デビューした直後、スージーはもともと話があったイタリア留学へと乗り出して、そこで自分と向き合う時間を得るが、ニューヨークに帰ってきた時に彼女を待っていたのは、「ボブ・ディランを放っておいたひどい女」という風評だった。
彼女は当時の女性たちの立場に対する違和感について何度も触れている。時代の風が自由を運び、様々な差別が撤廃されようとしていたが、女性の場はそこになかった。彼女が、そして六十年代の女性たちがフェミニズムに出合うのはもっと先の話なのである。
ディランとスージーの恋の最初は輝いている。二人で夜通し遊び、夜明けにパンを買い、オンボロのアパートに帰っていく、幸せな日々。そして多くの初恋と同じように、その結末は苦い。他の少女たちと比べてスージー・ロトロの失恋が過酷だったのは、その内幕が世間にさらされたことだった。しかし、彼女は「有名人の元恋人」ではなく、自分自身としてその後の人生を生きている。彼女にとってボブ・ディランは初恋の相手であり、繊細でつかみどころのない恋人であり、一緒に時代の空気を吸った仲間であるが、それ以上ではないのだ。文学や演劇、芸術にくわしい彼女がディランに及ぼした影響や、今まで公表されていなかった(考えようによってはショッキングな)事柄なども書かれてはいるが、不思議とスキャンダラスな雰囲気はない。後にディランと関係を持つイーディー・セジウィックとの不思議な邂逅についてもさらりと触れるにとどめている。この本の主人公はボブ・ディランではなく、スージー・ロトロ自身なのだ。