マイケル・バー=ゾウハーは、スパイ小説の第一人者として鳴らした作家である。1938年8月にブルガリアで生まれたこの作家は、ナチスの迫害を恐れた家族と共にイスラエルに移住、長じてヘブライ大学やパリ大学で学んだ後、イスラエルで新聞社の特派員となり1967年にはイスラエル国防相の報道官なども歴任。1973年の第三次・第四次中東戦争に従軍し、その後はハイファ大学で教鞭をとり、イスラエルの国会議員なども務めた人材である。つまり、イスラエルの作家なのだ。
作家としての経歴は、1973年に発表した『過去からの狙撃者』(邦訳は1978年)から始まり、七十年代末から八十年代にかけて、早川書房から刊行されているNV文庫の中核として、わが国でも相当な人気を誇った。『エニグマ奇襲指令』や『パンドラ抹殺文書』など、娯楽精神に富んだ良作をたくさん書いてくれた。そりゃあ人気も出ます。しかしバー=ゾウハー自身の作家としての興味は、次第にフィクションから離れてしまったようだ。1993年発表の『影の兄弟』を最後に、以後15年、小説を発表しなかった。代わりに、ミュンヘン・オリンピックにおけるテロを扱った『ミュンヘン―オリンピック・テロ事件の黒幕を追え』(ハヤカワ文庫)など、ノンフィクションを書いていたのである。
私は、もうこの人の新作小説は読めないものと思っていた。ところがここで急に、2008年に発表された新作長篇が翻訳される運びとなった。それがこの『ベルリン・コンスピラシー』で、感慨もひとしおである。
スパイ小説(国際謀略小説、エスピオナージとも呼ばれる)に、皆さんはどのようなイメージをお持ちだろうか? もしかして、「太古の昔である東西冷戦時代に流行った、アメリカとソ連が情報戦を繰り広げる、今では時代遅れな小説形式」と思ってはいらっしゃいませんか?
スパイ小説が一番流行したのは、東西冷戦の真っただ中であった。その「黄金期」に書かれた作品群は必然的に、米ソという両超大国が腹を探り合うという世界構造を前提としている。スケール雄大だし「最終的な敵」がはっきりしているこの構図、そのわかりやすさもあって一世を風靡してしまった。よって、「スパイ小説には東西冷戦構造が不可欠」と勘違いしても、ある程度は仕方ない状況ではあったのだ。この「前提」、すなわち冷戦が終わった直後(90年代初頭)には、これで世界中が平和になるという楽観的な空気が西側諸国に流れ、「もうスパイ小説はもう書けない」などという極論が大真面目に語られたりしたものだ。
しかしポスト冷戦になって20年を経過した今でも、ご存知のとおり世界情勢は混沌としている。各国の利害と憎悪は世界のあちこちでぶつかり、渦巻いている。こんな状況では、大国であればあるほど、諜報活動を止めるわけには行かないだろう。となると、謀略小説の活路も、まだまだ見出せるはずなのである。
とはいえ難しくはなったと思う。世界は、「自由主義vs社会主義」というイデオロギー対立だけでは語れなくなってしまった。対立の要因あるいは問題の根源は、個別具体的なケース毎に異なっている。極端に言えば、昔は「東西冷戦」と言えば読者が勝手に納得してくれていた。しかし現在は、リアリティのある国際謀略を描くには、全てをいちいち説明しなければならない。これをフィクションでやり抜くのはハードルが高い。しかしここで発想を逆転し、私は、作家の腕の見せどころが増えたと考えたい。
前置きが長くなったが、では『ベルリン・コンスピラシー』はどうなのか。
アメリカ国籍を持つユダヤ人実業家ルドルフ・ブレイヴァマンは、昨日はロンドンのホテルで寝たはずなのに、自分がベルリンにいることに気が付く。そして部屋に踏み込んできた警官に、62年前、仲間とともに五人の元SS将校を殺した罪で逮捕されてしまう。自分はドイツに拉致されて来たのだとするルドルフの訴えに、検察官マグダ・レナートは耳を貸さない……。
折しもアメリカとドイツの関係は悪化しつつあった。愛国主義的な態度をとるドイツ首相ブルンナーがイランを援助し、イランに対する軍事制裁を考えるアメリカと激しく対立していたのである。そんな中で起きたこの不可思議な事件――それも、ナチスの戦争犯罪人をユダヤ人が殺害したという事件を62年後に蒸し返す、政治的に極めて微妙な問題を抱えた事件――は、ドイツの総選挙が近いこともあって、米独両国に深刻な影響を与え始めていた。
SS殺害自体を悪事だとは考えていないルドルフは、取調べに当たっても頑固な態度を崩さない。そして62年前に実際に何が起きたかも、なかなか明かそうとしないのだ。そこに、ほぼ義絶状態だった彼の息子ギデオンが、父を救うべくベルリン入りする。ギデオンは父の親友の助けを借りて調査を開始するが。