「カツシン」こと勝新太郎が逝去したのは、一九九七年の六月二十一日。本書の巻末にある参考文献を見ると、死の年と翌年に比留間正明『勝新 役者バカ一代』、山城新伍『若山富三郎・勝新太郎 無頼控 おこりんぼ さびしんぼ』、それに『別冊太陽』が特集を組んだくらいで、その後もそれ以前も勝について他人が書いた本は極端に少ない。
いまの十代、二十代に「勝新太郎」という名前が通用するかどうか。勝にとって不幸だったのは、代表作「座頭市」がテレビで再放映しにくかったことだ。差別語を極端に嫌うNHKや民放では、深夜に「座頭市」を流そうとしても、盲人を表す言葉がすべて無音でそこだけ削除されてしまう。
「やい、このド○○○!」「○○○で悪うございましたね」と、何がなんだかわからない。現在では、CSで放送される場合、最後に断り書きを入れて、無削除版で流しているが、しかし、この十数年、妻の中村玉緒の思い出話以外に、勝の名を聞くことは稀だった。それだけにこの一冊は貴重なのである。
『天才 勝新太郎』は、勝の役者人生を、彼に関わった大映や勝プロダクションのスタッフなど裏方への取材から浮かび上がらせた労作で、知らない話がいっぱい出てくる。勝は大映から独立して以来、製作者、監督として映画やドラマを作る側にも回るのだが、その現場がいかに凄まじいものだったかを、近くにいたスタッフたちの肉声を通じて伝えているのが特徴。
「第一章 神が天井から降りてくる―映像作家・勝新太郎」は、テレビ版「新・座頭市」で「冬の海」という回を演出した際の録音テープが発見され、それをもとに叙述される。全百話つくられた「新・座頭市」で、勝は主演はもちろん、監督・脚本・編集のすべてを兼ねたというのだが、「全ての役を自ら即興のアイディアで演じながら試行錯誤を繰り返し、芝居の流れを作る。それが勝演出の根幹であった」というのだ。
「冬の海」で共演するのは売り出し中の原田美枝子。脚本家が用意したいちおうの台本があり、事前に原田に渡された。しかし、初対面の原田とマネージャーに、この台本は使わない、と言い出す。新しい台本はない、のことばにマネージャーは「帰ります!」と激昂する。すると勝が言う。「君ね、この子を連れて帰ると一生損をするよ」。
「私はやりたい」と、原田の声に撮影が始まる。台本はなく、大まかな筋立てだけで、あとは現場ですべての場面を勝が作っていく。「座頭市が少女の死期を知る」シーン。以下、勝の声をテープから。
「すぐにやくざが襲ってくるのはダメなんだよな。ここで祭にしちゃおう。海辺の場面で二人で絵を描き合うというのがあって、それから祭の場面にしちゃうわけだ。祭ではもう少し明るい画にしましょう。少女が一人でどこかへ行っている間に、市はジンタ(市たちの身の回りの世話をする少年)から彼女がもうすぐ死ぬことを聞いてしまう。それで市がボウッとしているところに彼女が帰ってくるんだ。市の肩をポンと叩いて」
あふれるイマジネーションに、具体的なセリフ。それを勝が蚕が糸を吐くように現出させていく。それにスタッフも応えた。「予算もスケジュールも気にしないでいいから」と勝が言い、その「心意気に、一流の腕前をもつスタッフたちも燃える」。
撮影所は、腕一本で生きて行く者たちのギルドであり、彼らは何よりもいい仕事をしたがった。『天才 勝新太郎』は、フィルムに映らないプロ集団の技と心意気を伝えて感動的だ。
しかし、役者から大きくはみだし製作者でもあったために、勝の人生が大きく狂っていく。例の、黒澤明が監督する「影武者」の降板事件もそうだった。一九九七年に黒澤から主演のオファーがあった時、勝もまわりも「世界の勝新太郎」誕生の予感に沸き立つ。ところが……降板となった顛末は本書を読んでもらうことにして、「駒」になりきれない勝は、役者としては不幸だった。大島渚から日英合作の新作映画への出演依頼があった時も、自身が脚本に手を入れて、それがもとで話が流れた。代役はビートたけしがやった。すなわち「戦場のメリークリスマス」だ。
歌舞伎の下座で三味線や長唄を務める名家・杵屋の家に生まれ、二代目・勝丸を二十歳で襲名したときは、天才と呼ばれ、将来を嘱望された。しかし、裏方に満足できずに昭和二十九年大映入りする。勝新太郎の誕生だ。巨匠と組んで次々と話題作、名作を世に送った市川雷蔵は永遠のライバルで、日本映画黄金期に、「座頭市」「悪名」「兵隊やくざ」とヒットシリーズを三本も持つ。新しいアウトロー像をここで作り上げた。
勝新の魅力と真価を、映画館に足を運ぶ観客は知っていたが、映画評論家はついに掴み損ねたのではないか。それだけに本書が出た意味は大きい。これをきっかけに勝新太郎研究が進むことを願うのである。
書評でも紹介されている山城新伍による若山富三郎・勝新太郎兄弟についての本の書評も収めています。ぜひお楽しみください。
『若山富三郎・勝新太郎 無頼控 おこりんぼ さびしんぼ』
レビュワー/北條一浩 書評を読む