ちょっと前までの女性向けのファッション誌には、定期的に「名作映画に学ぶ着こなし」特集が組まれていて、そこではオードリー・ヘップバーンが恒久的に至高のトップスター扱いで、その他だと、ブリジット・バルドー、ジーン・セバーグ、アンナ・カリーナといったヌーベルバーグな女優さんたちが常連だった、という印象があります。方向性はそれぞれ全然違うけれど、どっちにしても全員とんでもないスタイルの持ち主であることには変わりがなく、参考にしようったって無駄無駄無駄……、と、漫然とページをめくりつつ、こういう特集にはなぜか日本映画のスターはまず取り上げられないのだが、ここはぜひ岡田茉莉子さんの登場を切望したい、と、よく考えたものでした。
撮影所時代の日本映画界には、洋装の似合う女優さんはもちろん大勢いましたが、ゴージャスな高級服というのではなく、「リアル・クローズ」というのか、あくまでも自分に似合いそうな服を自分で選んで着ている感じの装いが抜群に素敵なのは、私見ではやはり岡田茉莉子さんです。出演作品のうちには、いわゆる「松竹ヌーベルバーグ」の代表作も含まれていますが、キュートであってもお嬢さんすぎず、シックであっても大人すぎず、尖った個性はあっても決して下品にはならない茉莉子さんの着こなしのセンスこそ、まごうかたなき「ヌーベルバーグ」といえましょう。しかも日舞のたしなみがあって和装の着こなしも完璧、和装でたばこを吸ったり、ダンスを踊ったり、全力疾走したりする大胆なしぐさが、これまたやたらに格好いい。というわけで、日本人としては、「映画の着こなし」を参考にするならば、オードリー・ヘップバーンよりも、断然岡田茉莉子に学びたいところです。閑話休題。
さて、この全編書き下ろしによる堂々590ページに及ぶ自伝『女優 岡田茉莉子』の、次の一節を読む限り、かねてよりスクリーンの岡田茉莉子の衣装から受けていた、「あくまでも自分に似合いそうな服を自分で選んで着ている」印象は、どうやら正しかったようです。
……映画スターとしての私自身のイメージをつくるために、新たな衣装デザイナーが必要だと考え、雑誌「映画の友」の編集部を訪ねて、淀川長治さんや小森和子さんに相談した。そのとき同席していた若い編集者から、森英恵さんの名を教えられたのである。
〔中略〕お目にかかり、たがいに気心があったのだろうか。その後、私が映画スター時代に身につけた衣装は、すべて森英恵さんのデザインによるものだった。(146ページ)
「クラシック」と「ヌーベルバーグ」を兼ねそなえた、ということは、ある意味で最強ともいえる「岡田茉莉子」というスターは、たんに映画会社によって「作られた」ものではなく、当人の「自分自身をプロデュースし、演じること」への確固たる意志の結果であること。本書からまず伝わってくるのは、その意志の一貫した強さの印象です。
18歳で東宝に入社した後、成瀬巳喜男監督『舞姫』で大役を演じるという恵まれたデビューを果たし、順調にヒット作への出演を続けながらも、会社、プロデューサー、監督によって勝手に決められる「女優としてのイメージ」に反発し、「岡田茉莉子を岡田茉莉子である私自身が演じるという、実現不可能な夢」を追い求めて、24歳の若さで東宝専属からフリーになった岡田茉莉子は、その後籍を置くようになった松竹大船で、公私にわたる生涯の伴侶となる吉田喜重監督と出逢います。
岡田茉莉子主演/吉田喜重監督の第一作である『秋津温泉』は、岡田自身が企画・プロデュースし、デビュー間もない若手の吉田喜重を監督として起用することで製作された作品でした。そればかりか、衣装も岡田が担当し、色味を抑えた印象的な画調もやはり岡田の希望によるものだったことが、本書には記されています。つまり、「監督が女優を見出し、スターとして作り上げる」という通常のパターンとは異なり、当初からそれぞれにクリエイターとしての主体性を保ちつつ、対等に製作にかかわるパートナーシップを築くことができたゆえに、「私自身のすべて、映画女優としての岡田茉莉子のすべてが、この映画のなかにある」(228)といえるだけの代表作が成立したといえるでしょう。
『秋津温泉』の企画から完成に至るまでのエピソードが綴られた第9章以降、吉田喜重監督が、本書のもうひとりの「主人公」として存在感を増してゆきます。「松竹ヌーベルバーグ」の旗手と呼ばれつつ、あくまでも商業主義をベースとする撮影所の製作体制への順応を潔しとせず、1966年以降は独立プロダクションによる実験的な映画製作を志向し、多くの挫折と困難、一時は岡田に向かって「剃刀、ナイフ、包丁、鋏といった危険なものを、私の目に届かないところに隠してほしい」と頼んだほどの精神的危機を乗り越え、2000年代に至っては広く国際的に認知されるアーティストとしての地位を獲得する、吉田喜重の「サヴァイヴァル&サクセス・ストーリー」としての側面が、本書の終章に向けて徐々に強まってゆきます。
そして、本書の第三の「主人公」というべき存在が、岡田茉莉子の実父である無声映画期の大スター・岡田時彦です。自分が1歳になったばかりのころ、30歳の若さで夭折した父の顔も名前も知らされぬまま、元宝塚少女歌劇のスターだった母と叔母の手によって育てられた岡田茉莉子は、やがて、偶然に見た溝口健二監督の無声映画『滝の白糸』の主演男優こそが実父であったことを告げられます。そして、父を映画の世界に誘った谷崎潤一郎から芸名をもらって映画界入りし、無声映画時代の父の代表作の数々を撮った小津安二郎監督作品に出演した際に、小津の口から生前の父の思い出を語り聞かされ、失われていた父・岡田時彦のイメージを見出し、再構築してゆく過程が、全編を通じてのもう一つの軸となっています。
父の葬儀の際に紛失したまま長らく行方の知れなかった谷崎潤一郎による弔辞(「黙祷シテ君ガ遺骸ヲ拝スルニ、合掌セル繊手、瞑目セル温顔、白キコト蝋ノ如ク、玲瓏澄徹シテ清香ヲ放ツニ似タリ。君ハ幻戯ノ名優ニシテ而も世ヲ去ルノ蚤(はや)キコト幻戯ノ如ク……」)の発見。父の声を録音したレコードの復元と再生。そして、かつて母によって白い和紙で覆い隠されて写真立てに入れられていた素顔の父の写真の発見。この3つの「発見」を介して、さらに鮮明に浮かび上がってくる亡き岡田時彦のイメージの、はかなく透きとおった美しさには、胸を衝かれるものがあり、また、映画が「死者との出逢い」を可能たらしめるメディアであることに、改めて思いを馳せもします。
パートナーの吉田喜重と、亡父岡田時彦。このふたりとの関わり、ふたりへの想いの記述から、「ヌーベルバーグ」でありながらも「クラシック」でもある岡田茉莉子というスターのたぐいまれな個性がさらに際立つとともに、無声映画期から撮影所の全盛期~崩壊期を経て現在に至る日本映画史の流れが凝縮されている感があり、読後感は重厚です。
本書を綴る茉莉子さんは、どちらかというと硬派な芸術志向を貫いているようですが、たとえば渋谷実監督『バナナ』で、唐突に「シャンソン歌手になる!」宣言をして恋人の津川雅彦を振り回したあげく、ついには自前のリサイタルを開いて、ギターを抱えて「ア~ア~♪ 青ブクのバナナ~♪」と歌う、「かわいいジャイアン」という風情の、マンガチックなコメディエンヌぶりなども非常に魅力的です。本書を見ると、「笑いを誘うことはあっても、どこか真実味に欠けていた」という『バナナ』評をはじめ、コメディとアイドル映画については、総じてわりと冷淡に突き放した記述が続きますが、無意味にキラキラとキュートでポップなアイドルとしての岡田茉莉子も、やはり他をもって替えがたい存在だったことは確かです。
昨年刊行された、こちらも日本を代表する女優・淡島千景が自らの半生を語る『淡島千景―女優というプリズム』の書評も収めていますので、ぜひお楽しみください。
『淡島千景―女優というプリズム』 レビュワー/北條一浩 書評を読む