先日の芥川賞・直木賞発表の日、日経新聞の夕刊に保坂和志のコラムが掲載されていた。彼は小説を書きたい人に「書いてあることは裏読みしたり、比喩的に解釈したりせずに、真に受けろ」とアドバイスしているそうだ。真に受けることで、自分の価値観・世界観が変わるという。
なるほど、小説家にはそういうピュアな感受性が必要なのだなと思う。たとえ騙されても傷ついても、世の中のあらゆる事象を真に受けることで、成長できるということか。いや万が一、間違ったことや曲がったものを真に受けたとしても、血を流すのは間違ったことや曲がったもののほうであるはずだ。つまりピュアさは武器になる。
8人の女性作家によるアンソロジーである本書においては、江國香織、小川洋子、川上弘美による最初の3編に、このようなピュアな強さが感じられる。続く桐野夏生、小池真理子、髙樹のぶ子の3編は、<あやまち>や<しがらみ>や<あきらめ>といった痛みのニュアンスを踏まえた上で、パワフルに世の中と折り合いをつけていく現実的な小説だ。最後の2編、髙村薫と林真理子の作品には、さらに<ウソ>や<演技>といった大人の複雑な心情がからむ。
本書の並び順は作家名のあいうえお順だが、偶然にも、順番に読むことで、女性の感覚の奥深さや怖さが次第にあばかれる構成になっているのだ。それぞれの作品の魅力を表す言葉として、受容力、理解力、妄想力、憑依力、自立力、執着力、造形力、現役力というキーワードを当てはめてみた。
夫に出ていかれた房子の「まるで保護者のいない子供」のような暮らしぶり。周囲のネガティブな状況をすべて自分で引き受けてしまう女、引き受けさせられてしまう女の話だ。つまり彼女は<つけこまれる女>であり、その素直さは『Invitation』の幕開けにふさわしい。パトリシア・ハイスミスばりに淡々と描かれる不気味な日常と「自分だけが世界からはみだしている」ことへの恐怖。房子のピュアさには毅然とした美しさすら感じられる。
世界的な人気作家の来日騒動。巨人と呼ばれるその作家は、バルカン半島の小国の内陸部丘陵地帯に点在する村々だけで通用する地域語しか使わない。来日した巨人は何を話し、どんな印象を人々に与えるのか。そしてその文学の本質は? 巨人研究の第一人者に代わり急遽通訳をすることになった「私」と、正確に訳せといらだつ編集長、そして「私」にだけ心を開く巨人。言葉を訳さないことも、通訳の重要な仕事なのだろう。
「二十数年前に、ちょっとの間だけ、恋人みたいな関係だった」関谷くんへの思いと、その後のいきさつを一人語りする小説家の「わたし」。二人の関係は、いくつもの選択肢の中で盛り上がったり盛り下がったりする。結ばれたいと思った人とは結ばれたほうがいいのか、それとも一人相撲の妄想として楽しみ続けるのが賢明なのか。彼女にとっていちばん怖いのは、恋愛に傷つきすぎて、妄想を抱けなくなってしまうことなのだった。
薩摩の煙草商人の息子ヤジローは、ある罪を犯し、ポルトガル船で日本を脱出する。ゴアに着き、ほっとしたのも束の間、ヤジローは日本語を話す貧相な老人に出会ってしまう。「日本人ではない何者かになりたかった」彼は、次第に日本語による語りの魅力に絡め取られてゆく。私たちは自由である一方、どこへ行っても自国の歴史や言葉の記憶から逃れられないのである。その連帯感の心地よさと鬱陶しさといったら。
夫に黙って部屋を出てゆく女の寂しさと清々しさ。引っ越しを請け負う若い男の描写が心に残る。この男、魅力的で頼りになるが、女との接点はそれ以上でもなく以下でもない。「気持ちよく捨てちゃってね、と言おうとして、女は喉を塞がれたようになった。捨ててもらうのは青いゴミ袋の中身ではなく、自分自身であるような気がした」。だが、彼女の未来は明るいと思う。捨てるものさえあれば、その推進力で、女は前に進めるのだ。
痴呆性高齢者のグループホームを舞台にしたミステリアスな作品。短大を卒業してヘルパー2級をとった由美の介護の日々が描写されるが、担当となった新入りの入居者ミツ子の恋の秘密が発覚し、物語は一転する。由美は、ミツ子がその名を口にした男に連絡をとり、生涯の最後に会いたがっている女性がいることを伝えるのだった。嘘みたいな話なのに、これが本当の介護かもしれないとまで思わせる力があり、痛快のひとこと。
「小生がまだ二十代だったころに、ある先輩から聞いた話」だが、その話は、先輩がある男(山田某)から聞いたもの。つまりこれは、ある男(山田某)→先輩→小生という流れで語り継がれた話である。先輩の話は驚くほど詳細だが「詳細だったのはいったい山田某の話なのか、それともそれを聞いた先輩の記憶なのか」不明。また「ここに何らかの事件を直接疑わせる事実はない。強いていえば、すべてが疑わしいだけであり、疑わしいわりには話が詳細すぎるのが、何より疑わしいというだけ」である。物語の曖昧さと強さに関するミステリー。
孫がもうすぐ生まれる52歳の未知果には、近藤という愛人がいる。「五十二歳の未知果は五十三歳になり、次の年は五十四歳になり、そしてすぐに六十歳の時がやってくる。そこからは女の暗黒時代が始まるはずであった。もう恋やセックス、などというものは頭から消して、ひたすら楽しく老いることだけを考えなくてはならないみじめな歳月。が、近藤を失くしたら、その暗黒は明日から始まる。未知果はそれを恐れているのだ」。狡さやふしだらさを超越し、切実な女心をとらえた一編。リハーサルというタイトルの真意が強烈!