ジュリア・チャイルドという料理研究家のことは知っているだろうか? 日本では馴染みの薄い名前だが、ある世代のアメリカ人にとっては忘れがたい女性である。彼女は料理研究家であると共に、一種のテレビ・スターであった。
63年から70年代終わりにかけて放映された彼女の「フレンチ・シェフ」は、番組終了までにひとつの料理の下準備から完成までを見せるという、現在の料理番組の草分けともいえる存在だった。ジュリア・チャイルドはこの「フレンチ・シェフ」と、彼女がフランス逗留時に料理学校「コルドン・ブルー」で学んだ料理を主婦向けにアレンジして作ったレシピ本『フランス料理の達人』は、アメリカの食卓を大きく変えたと言われている。
カンヅメのビーンズやマッシュポテトではなく、もっと豊かな料理の世界をジュリア・チャイルドは主婦たちに紹介したのだ。もちろん、手間がかかる行程も多くバターたっぷりの彼女のレシピは、ナチュラル志向の現代にあっては少し「レトロな」料理である。例えていうならば、昭和三十年代の「暮らしの手帖」に載っている洋食のレシピのような感じだろうか。
今では家庭で作る人も少ない、そんな本格的かつオールド・スクールなジュリア・チャイルドの本のレシピを、全部作ってみようと悪戦苦闘した女性がいた。料理の専門家でも、腕自慢の主婦でもない。02年、ジュリアの料理に挑戦してみようと決めた時のジュリー・パウエルは、ニューヨークに暮らす平凡なOLだった。
平凡な、という言葉の向こうには様々な真実が隠されている。ジュリーは女優の夢破れて、やりたくもない退屈なオフィス・ワークに追われる二十九歳の女性だった。婦人科からホルモン異常による疾患を言い渡され、キャリアや家庭における次のビジョンが見つからない。何か「コレ」というものがないか、そんな彼女が見つけたのがジュリア・チャイルドの手間がかかる料理だった。
彼女は三百六十五日という制限付きで、『フランス料理の達人』に掲載されている全ての料理を作ってみることにした。その数なんと五百二十四! ただ挑戦するだけではない、その過程を全て(当時流行り始めたばかりの)ブログで公開するのである。
こうして「ジュリー/ジュリア・プロジェクト」は始まった。彼女がこのブログを初めて間もなく本格的なブログ・ブームが訪れたこともあり、「ジュリー/ジュリア・プロジェクト」は人気サイトとなった。話題が高まってテレビや雑誌などの取材を受けるようになり、ブログは書籍化され、ベスト・セラーとなり、ノラ・エフロン監督、メリル・ストリープとエイミー・アダムス主演で映画化……と、ブロガーが夢見るようなサクセス・ストーリーである。
しかし、『ジュリー&ジュリア』を読めば、ジュリー・パウエルにとって大事なのがその種の成功ではないことが分かるはずだ。あけすけで正直なジュリーは、そうした野心がなかった訳でもないことも、さらりと書いてはいるけれど。
この本から伝わるのは、「今よりもほんの少しマシな、新しい自分」になろうとして何かを一生懸命に追いかけている女性の姿だ。「ジュリー/ジュリア・プロジェクト」が人気を集めた理由がよく分かる。クィーンズ地区の古いアパートにある小さなキッチンで、今まで作ったこともないような料理に奮闘する姿は、その題材を超えて読む人の胸を打つ。何か上手くいかないことがあるたびに「F×ck」を連発するジュリーに、ブログの購読者たちはみんな感情移入したに違いない。ユーモラスでウィットにとんでいて、すぐそばで楽しい女友だちが話しかけているかのような親密な気分にさせてくれるエッセイ集だ。企画もユニークだったが、ジュリー・パウエルが成功したのはひとえに彼女に文才があったからである。
もちろん、おいしそうな描写の嵐である。ムール貝のバター・ソース煮、赤ワインで作る落とし卵、マスタードとハーブ・クリーム入りのレバー…料理名を書いているだけで口にツバが湧いてくる。
その料理を普通のキッチンで作っている様子も面白い。どのように髄骨を切って、そこからどろっとしたピンクの髄を取り出し、調理するのか? カモの肉の骨抜きなんて素人に出来るのか?
失敗も多々ある。ジュリーは発酵させるものやゼリーなどで固める料理が苦手らしく、しょっちゅうしくじる。オレンジ・ババロアはゼラチンとオレンジの部分が分離したまま、ポトフと共に食卓に上る。しかし、友人たちを招いたその食卓の楽しそうなこと! 9/11、そしてリーマン・ショック以降のニューヨーカーたちに必要な、地に足の着いた幸せ、すぐそこで湯気を立てているかのような確かな幸せの描写だ。食べること、自分自身で何かを作ることの歓びを軸にしたこんな幸福が、今こそ必要だと切実に思う。
食べることの歓び、自分自身を見出すことの大切さについて書いてあるのと同時に、『ジュリー&ジュリア』はブログを書くことについて、これ以上ないほどの臨場感を持って描いた本でもある。
初めて自分のポストにコメントがついた時の喜びや、気になって何度もヒット数を確かめてしまう様子、読者の反応に一喜一憂する姿……ブログはジュリーにより大きな世界を開き、彼女を振り回しもする。
職場にバレて怒られたり、不快な投稿に悩まされたりと「ブログをやることの弊害」も体験談としてきちんと書いてある。ブログがもたらす「十五分間の栄光」の表と裏についても。
ただブログの文面を書籍に流し込むのではなく、「ブログをやっていた時期の裏話」としてエッセイを構築したその奥行きは、日本に数多ある「ブログ本」にはない、好ましい手間である。これから何かのブログを書籍化しようと目論んでいる編集者はみんな『ジュリー&ジュリア』を見習うべきだ。