室生犀星は、1889年に金沢に生まれた、詩人、小説家である。同年生まれの作家に、岡本かの子、久保田万太郎、村松梢風、などがいる。犀星は大正7年、第一詩集である『愛の詩集』を出し、詩人として文壇に出たのだった。当時の文壇は白樺派の時代であったと考えられるが、室生犀星の登場は新しい風と感じられたにちがいない。読者は、理想主義、人道主義ではくくれない、ある暗いもの冷たいものを犀星の詩中に感じたのではないでしょうか。
でも全体として見ると、『愛の詩集』『抒情小曲集』『第二愛の詩集』などの初期詩集には、思わず声に出して読みたくなるような作品が散りばめられている。犀星の詩は、よく比較して論じられる萩原朔太郎の詩のような、言葉の上での難解さはなくて、よく心に響く普通の言葉で語られる。例えば、『第二愛の詩集』から、一編の詩を引用してみよう。
「寂しき日」
自分は寂しくなると
いつも書物の棚を見上げながら
いろいろな本をとり出して眺めていた
それらの本を街で求めた日
それらの本に感激して読んだ晩
あの永い退屈な夜夜の孤独
そのをりをりの精神のあとが
まざまざと若草のやうに燃えて来るのであった
…………
こういう詩を読むと、私は心が落ち着いて、また何かに立ち向かえる気がしたものである。
犀星は、詩集発表の翌年には、小説をも書き始め、自伝三部作といわれる「幼年時代」「性に目覚める頃」「或る少女の死まで」で、小説家としても認められた。犀星の小説作品は、抒情が散りばめられていたと記憶しているが、やはり暗い悲しい冷たいものが全体を覆っていたように思う。
さて、今回取り上げることになったのは、室生犀星の随筆である。小説はいいけど随筆は面白くないとか、またその逆であったりするのだが、最初に書いてしまうと、犀星の場合は、随筆も滅法面白いというのが私の考えである。
『随筆女ひと』は、昭和30年、新潮社から小林古徑の装幀で出版された。戦後沈黙がちであった犀星がこの作品で復活したと言われた記念碑的随筆集である。多くの人に読まれたということである。昭和33年に新潮文庫に入り版を重ねたが、そのあとは品切れ状態が続いていた。それが今年になって、岩波文庫となって復活したのだ。その味わいを忘れかけていた私は喜んで再読した。
本書『随筆女ひと』は、犀星の女性感を綴った随筆集で、その独特な視点は、他に類がないと思う。思わず笑ってしまうのは、その一貫した女性崇拝、女性賛美の文章である。これでもかこれでもかと女性の美しさを、詩人ならではのこだわりを持って、ねちねちと描いている。
[女に好かれないような男は碌な男ではなかろう、何処を見ても女というものの世界から眼を避けることの出来ない男の族からは、女に好かれない奴は、男の仲間でもいやな奴の正札のついている奴である。]
そのとおりだとは思わないが、犀星がそのように見ていただろう、とは想像出来る。自分の小説も批評家に褒められるより、女性に「ちょっといいわね、あの小説」などと言われる方がうれしい、そんな意味のことを書いていた犀星である。
いたる所に犀星流の名言がある。例えば、「女を信じるということは女の美しさを信じることであって、心の問題ではない」だとか、「美貌の女は手はいやおうなしにすべすべしていたし、凝視する前にわれわれ自身がまいっていた」だとか。
こうなるともう犀星の言葉について行くしかない。賛成とか賛成出来ないということも関係なくなってくる。犀星は、自分の顔が気に入らないので、その不満を繰り返し書き込んでいるが、そこにも犀星の徹底を感じた。
[怒ると拙い顔がもっと拙くなるから、なるべく怒らないようにしていなければならないということも、哀しいことである。]
この『随筆女ひと』を読む愉しみは、文章の巧みさを味わえる愉しさでもあるだろう。観察も細かく、犀星は女性の美点を見逃さなかったと思われる。こういう作品を品切れにせず、いつでも読めるようにしておいてもらいたい。
犀星のまたちがった面を読みたい方には、ウェッジ文庫の『庭をつくる人』をお勧めする。文庫で読めるとは誰も思っていなかっただろう、そんな本である。小説が好きな方は、講談社文芸文庫の『あにいもうと 詩人の別れ』を読んでいただきたい。