フロリダと聞いて、何を思い浮かべますか?
燦々と陽光が降りそそぐ真っ白なビーチとパームツリー、フラミンゴやワニが生息する大湿原、ヘミングウェイ縁のキーウェストまで延びる海上ハイウェイ、さらにはディズニー・ワールド等々。”サンシャイン・ステート”というニックネームそのままにトロピカルで穏やかな観光地、常夏の楽園というイメージが強いフロリダですが、無論ポジティヴな要素ばかりのはずがありません。
光が強ければ強いほど影が濃いように、現実には負の側面も大いにあります。麻薬や不法移民絡みの凶悪犯罪、利権を巡る乱開発と政治腐敗。そして、たびたび訪れる巨大ハリケーン。
こうした表と裏のギャップが創作意欲を刺戟するのか、フロリダ――特にマイアミ――は、アメリカのミステリ界でニューヨークやロサンジェルスと並ぶ人気都市です。古くはブレット・ハリデイの私立探偵マイク・シェーンやジョン・D・マクドナルドのトラブルシューター、トラヴィス・マッギーのシリーズから、あのクエンティン・タランティーノがリスペクトしてやまないチャールズ・ウィルフォード『危険なやつら』やエルモア・レナード『ラブラバ』、ピューリッツァー賞を受賞したジャーナリスト出身の二人、デイヴ・バリー『ビッグ・トラブル』とエドナ・ブキャナン『エドナのマイアミ殺人百科』、さらには”マイアミ・ノワールの女王”ことヴィッキー・ヘンドリックス『娼婦レナータ』、ポール・ルバイン『マイアミ弁護士 ソロモン&ロード』、ティム・ドーシー『フロリダ殺人紀行』、ジェイムズ・W・ホールまぶしい陽の下で』、ローレンス・シェイムズ『約束』、などなど、もう枚挙にいとまがありません。
(註:上記マイアミ・ミステリのうち、ヴィッキー・ヘンドリックス『娼婦レナータ』ランダムハウス講談社文庫、ポール・ルバイン『マイアミ弁護士 ソロモン&ロード シリーズ』講談社文庫は、新品でのご購入が可能です)
フロリダに魅せられた彼ら――特に八十年代以降――の作品には、ひとつ明確な共通項があります。それは登場人物が皆、とんでもなく個性的なこと。主人公を筆頭に良い奴も悪い奴もほぼ全員がどこかトチ狂っています。しかも、明るくあっけらかんと。おかしくってあぶない奴らが繰り広げる先の読めない大騒動と悲喜こもごもこそが、フロリダ・ミステリの神髄です。
そんな一癖も二癖もある書き手の中でも、とりわけ異彩を放ち、フロリダ・ミステリの代名詞と言っていいのがカール・ハイアセンです。生粋のマイアミっ子である彼は、フロリダ大学卒業後に地元の有力紙〈マイアミ・ヘラルド〉に入社し、記者として地域の腐敗を追及し続け、ピューリッツァー賞にノミネートされること二回。一九八五年から始めた切れ味鋭い辛口コラムの連載――興味のある方はこちら(http://www.miamiherald.com/news/columnists/carl-hiaasen/index.html)をどうぞ――は現在も継続中で、二〇〇四年にはその功績を認められて、優れたジャーナリストに授与されるデイモン・ラニアン賞を受賞しました。
一九八六年に『殺意のシーズン』(扶桑社ミステリー、現在絶版)で作家としてデビュー、現在までに十四作(うち三作はヤング・アダルト向け)を発表し、本国ではことごとくベストセラーとなり、書評で「アメリカの宝だ」とまで言われる大人気作家です。日本でも今年の一月に出たばかりの三作目のジュヴナイルを除いて、これまですべて翻訳されてきました。
それらは皆、一貫した姿勢のもとに書かれています。即ち、“不正と偽善と強欲に対して怒りの拳を突き上げる”という姿勢です。優れたコラムニストでもあるハイアセンは、愛するフロリダにあだなす輩――利潤第一主義の開発業者や観光業者、ポリシーを持たない汚職政治家――に対して闘いを挑み続け、毎回敵役として俎上に載せ徹底的に酷い目に遭わせています。もっとも、酷い目に遭うのは悪い奴だけじゃなくって、主人公を始めとする良い奴もとんでもない窮地に追い込まれてしまうのですが……。
さて、そんなハイアセンが今回ターゲットとしたのは、テレホン・セールスマン。本書『迷惑なんだけど?』(文春文庫)は、まるで狙いすましたかのように夕食時になると掛かってくる売り込みの電話に、ついに我慢の限界を超えたヒロインが、無礼で厚顔無恥なセールスマンの根性をたたき直してやろうと決意したことから巻き起こる、おかしな騒動の顛末を描いたクリミナル・コメディです。いや、ヘンなんだ、これが。
ハニー・サンタナ、三十九歳、エヴァーグレーズ大湿原の中の小さな町に住むシングル・マザー。十二歳になる息子フライの友人たちからは、“町でいちばんソソられる母親”とひそかに噂される彼女には、一つ重大な欠点があります。それは“正義感が強すぎる”こと。フライを産んでからというもの、不正や偽善や強欲や無礼といった“悪いこと”に対して、どうにも我慢できなくなってしまったのです。周りから見れば些細な問題でも、どうしても一言いわずにはいられない。
なんともやっかいなこの性格が原因で、結婚生活は破綻。今や愛するフライとトレーラー・ハウスで暮らす彼女にとって、息子との貴重なコミュニケーション・タイムである夕食の時間は、とても大切で楽しみな一時です。ところが今日のハニーは、かなりご機嫌斜め。というのも勤め先の鮮魚店を辞めてしまったからです。理由は、店長のパイジャックにおっぱいをつかまれたため。仕返しにカニの爪を割る木槌で股間を一撃し、ただちに退職した彼女の機嫌をさらに悪化させたのが、テレホン・セールスマンのボイドです。