ところで前述の引用は、プロローグとエピローグのあいだに12の章がサンドイッチになったこの本の中の、第8章の最後の部分にあたる。あるドラマのはじまりを告げるこれらのセンテンスは、もう一度書くが、第8章の「最初」ではなく、「最後の部分」に置かれている。ここが福岡氏の本の構成がすばらしい点だ。読者は一回、ゴクリと唾を飲むようにして、続く第9章の扉を開ける。
そして10章、11章、12章と進むにつれて、「彼はあらゆる意味で、天才だった」と書かれていたその「あらゆる意味で」の部分を、自分が軽く見積もっていたことを思い知ることになるかもしれない。
さてここで、ちょっとした interruption というか、軽いエピソードを挿んでおきたい。『世界は分けてもわからない』を読み始めた翌日、「昨日誕生日だったみたいだから、欲しがってた本をやろう」といって、ある人の蔵書を譲ってもらった。東京創元社が昭和30年代に出していた「ポエム・ライブラリイ」シリーズの1冊、『丸山薫詩集』である。「ポエム・ライブラリイ」シリーズはちょうど新書の版型で、花森安治の装丁が美しく、とてもラブリイな本なのだが、喜び、かつ感謝しながら『丸山薫詩集』をめくっていたら、「これって『世界は分けてもわからない』に出てきた視線の話にすごい似てるな」という詩が出てきた。短い詩なので、紹介しよう。「鷗が歌つた」という四行詩。
私の姿は私自身にすら見えない
ましてランプや ランプに反射してゐる帆に見えようか
だが私から帆ははつきり見える
凍えて遠く 私は闇を廻るばかりだ
この不思議に鮮やかな詩をなんとなく頭の隅に置きながら、その日はそこでパタッとページを閉じて寝てしまった。ところが。
翌朝眼が覚めて、少ししてから『世界は分けてもわからない』の続きを読み始めると、先のマーク・スペクターくんの活躍が最高潮に達する第10章「スペクターの神業」のエピグラフに、この四行詩が引かれているではないか!
こういう偶然を、まったく神秘化することなく大切にしたいと思う。つまり、この偶然は何らかの「サイン」であるというよりも(私はそういう「スピリチュアルな」考え方が嫌いだ)、「分けてもわからない」世界の豊かな流動性が、世界の「流れ」の中でおもしろい偶然を体験させてくれたと考えたい。本好きの人なら誰しも、思いがけない形で探していた本と出会うという経験をしているはずであり、そうした経験は少しも「スピリチュアルな」ものではない。そもそも、世界とはそういうものである。
閑話休題。最後にどうしても、須賀敦子のことを書いておきたい。唐突なようだが、『世界は分けてもわからない』は、さしあたって「福岡伸一 meets 須賀敦子」という趣の本でもあるからだ。福岡さんが好きな、そして須賀敦子の最後の著作である『地図のない道』と、この本の中の「ザッテレの河岸で」という作品、そこで須賀敦子が見つけた「インクラビリ」という名前の水路こそが、導きの糸になる。
2002年のヴェネツィア(ヴェネツィアといえば須賀敦子である)から1980年のニューヨーク州イサカへ、時間を巻き戻すような構成になっている『世界は分けてもわからない』は、著者がエピローグの締めくくりに書くように「世界は分けないことにはわからない。しかし、世界は分けてもわからない」という本である。ある意味絶望的にも響きかねないこのセンテンスをラストにおく本書はしかし、まったくネガティブな本ではない。そして、とりあえずの希望で締めくくり、「ハイ、一丁あがり」という本でもない。
「地図のない道」をさまよい歩くこと。同時に「マッピングで世界はわからない」という諦念を持つこと。『世界は分けてもわからない』は、我々が抱いている希望と絶望の概念が、ほんとうはそうした固定した枠の中には存在しないことを明らかにしている。
福岡伸一氏は科学者である。科学とはズバリ、「分ける」こと。「分けてもわからないのだから、分けることはもうやめよう」という本には対話がない。それは教祖の本である。
あ、書き忘れましたが、「インクラビリ」とは、不治の病、という意味です。