フレキシブルな皮膚感覚で今の空気を読み、普遍的な思考に還元していく手腕は、平野啓一郎ならでは。卑近な題材を扱っても、その強さが揺らぐことはない。今回の小説のテーマは「有人火星探査」。主人公は、2000年生まれの佐野明日人。2033年、宇宙船「ドーン」で始めて火星に降り立った宇宙飛行士の1人だ。
アメリカのパルプノベルのような体裁にも見えながら、ストーリーは決してなめらかではない。ふたを開ければ古典的な純文学なのだ。物語の終盤で、明日人は思う。
「ただ後ろを振り返れば良かっただけのことのために、自分には一億キロもの往復の道のりと、十年もの時間が必要だったのだ」
このバカバカしい遠回りこそが、男の紡ぐ物語の面白さだと思う。
平野啓一郎は『ウェブ人間論』(新潮新書)の中で「嫌なことでストレスをためてしまうよりは、避けていきたい」という梅田望夫に対して「現実が嫌な時には、改善する努力をすべきじゃないか」と言っている。ネットの進化についてもやや懐疑的だ。
「本は、面白くない箇所もありますから、途中でイヤになることもあるけれど、実はそここそが、肝だったりする。良くも悪くも、情報をリニアな流れの中で摂取するしかない。ネットはどうしても、面白いところだけをパパッと見ていく感じでしょう? それで確かに、刺激はありますけど、なんとなく血肉になりきれない」
平野啓一郎は、目の前の現実にじっくり取り組み、情報をリニアに血肉化する人なのだ。『ドーン』への私の感想は、著者自身のこのコメントに近い。つまり、説明的で面白くない部分もあるけれど、血肉になる。この充実感と高揚感は、たぶん小説でしか得られない。
☆
宇宙を仕事場にする人々の物語としては、クリス・ジョーンズの『絶対帰還』(光文社)が記憶に新しい。スペースシャトル「コロンビア」が帰還途中に空中分解、乗員全員が亡くなった2003年の事件を核にしたドキュメンタリーだ。国際宇宙ステーションに取り残されたクルーの人間関係や心身の状態に迫り、眠れぬ夜はないのか、宇宙食は飽きないのか、トイレやお風呂や洗濯はどうするのか、私物や嗜好品はどのくらい持ち込めるのかなど、門外漢のさまざまな疑問に答えてくれた。ドラマチックな事件よりも、壊れた部品を修理したり、ゴミを取り除くなどの地道なメンテナンス作業に追われる日々のほうに、私は驚いた。
『ドーン』の場合はどうか。この小説のポイントは、火星への往復と滞在期間に費やされる2年半というミッションの長さであり、想像力をかきたてるリニアな設定をファッション感覚で取り入れてしまう平野啓一郎はさすがだなと思う。小説の中には、ある男が「アルベール・エルバスのきらめくように美しいパーティー・ドレス」を「妻から、あなたの奥様への友情のしるしだ」と言いながら贈るシーン(ありえない!)があるが、老舗のランバンを鮮やかに復活させたこのデザイナーに着目する著者の嗜好には、何となく好感を抱いてしまう。
有人火星探査は「素材へと堕落せずに、生(き)のままで人間を驚かせる現実が、まだあったという感動」だ。その古くて新しいロマンチシズムは、デジタルなファストファッションにはない、プレステージブランドの崖っぷちの可能性と相似形を描く。
☆
予想されることだが、宇宙船「ドーン」の内部は、異様にストレスフルである。
「そうした渇望に四六時中苛まれて、残り二年というミッションの気の遠くなるような時間の長さに暗然とした気分になった。爽快さほど、この船に欠けている快感はなく、その風通しの悪さは、黴のように秘かに、迅速に、クルーの体内を狂気で蝕み始めていた」
「メアリーとわたしとは、男性クルーとは別のプログラムで、船内でレイプの被害に遭った時のシミュレーションを受けさせられたけど、そういうことを考えて、不安で眠れなかったこともある。頭の中を占めてたのは、きれいごとで片づかない、全然英雄的じゃない問題ばかりだった」
もちろん話はそこにとどまらず、政治的な問題を巻き込みつつスケールをふくらませてゆくのだが、この小説が提示するのは、そんな激しいストレスとたたかう方法である。
キーワードは「ディヴ」。個人が多数の顔をもつ「分人主義(dividualism)」の略だ。「キャラ」の進化形として、光源氏の生き方から説明されるお洒落な言葉。人は、対人関係の多様さの分だけディヴを増やすことで、うまく生きられるのである。
たとえば、ディヴという言葉は、明日人と今日子が互いの浮気疑惑について率直に話し合うシーンでこんなふうに使われる。
「今日子というたった一人の女性と関わっている、この小さな、私的なディヴから始めるべきなのか、それとも、地球レヴェルの問題に関わっている複数のディヴを優先させるべきなのか。しかもその一々は決して純粋ではなく、複数の問題が常に複雑に絡み合っていた」
一方、今日子は、明日人の浮気が、生死をかけて人類の希望を担って望んだプロジェクト中の出来事であるという事実に混乱し、「それぞれのディヴでしたことは、それぞれの話と、不倫も含めてすべてを割りきっている人たちもいる」と思いつつ揺れている。
「自分の好きな、自分向けの明日人のディヴが、どこかでリリアンを愛したそのディヴと混ざり合っている。今まで見えていなかったその濁りが、話して聴かされることで見えるようになった。そのことを、どう考えればいいのだろうか?」
要するにディヴは、クリアに割り切れるものではないってこと。逆にいえば、割り切れないものを無理に割り切ろうとする思考こそがディヴで、その不自然な理屈が、宇宙というスケールに一見フィットしているように感じられるのが面白い。
☆
明日人はやがて、自分の物語を書き始める。そのプロセスは、この小説に対する著者の取り組みを思わせて美しい。
「これまでに書いてきた物語の辛く苦しかった一つ一つの場面が、やがては明るい結末へと回収される伏線に過ぎないものとなるためには、何が続いて、何が変わらなければならないのだろう?」
「誰がずっとそばに寄り添っていてくれなければ、この物語は前進しないのだろう?」
たどり着く愛の形は、新しいものではない。激しいストレスとたたかうには、この古風さが必要なんだろうなと思う。ほっとする結末だ。ずいぶん遠くから、戻るべき場所へ戻ってきたような―。
そう、この小説は本当に疲れるのだ。だが、最後まで読むことで、私たちは報われる。どんな世の中になっても、何が起こっても、帰る場所は必ずあるのだと信じたい。ディヴはなるべくひとつにまとめて、生きていこうと思った。