物語はとても脆い存在である。物語で腹は膨れない。病魔や死神を追い払うこともできない。また大惨事――たとえば大地震で崩壊した街並みや、9.11で崩壊したWTCビル、第二次世界大戦における各地の惨状など、一目でその酷い災禍がわかるようなもの――を前にすると、物語の前提となる言葉すら出なくなってしまう。本当の困窮・困難の前で、物語はあまりにも無力なのだ。
しかしそれでもなお、物語は夢や希望、そして慰めを人にもたらすことができる。虚構であるか否かを問わず、素晴らしい物語は、落ち込んだ人々の心をも突き動かす。それは先述のような奇禍に遭った人々にとってすら、変わることのない事実だろう。物語に接して出て来る元気は、なけなしのもの、うたかたの夢の類かも知れない。だが、それで救われる人は確かにいるのである。
では、私たちはこう言えるのかもしれない。物語はとても弱く、とても強い。そしてこの矛盾する要素を孕みつつ、常に(少なくとも有史時代はずっと)人間に寄り添ってきてくれたのだ。
本書『アーサー王ここに眠る』は、以上のように両面性を持つ物語の特性を、これ以上ないくらい見事に描き切った作品である。二〇〇八年に児童文学賞のカーネギー賞を受賞しており、面白さに関しては既に折り紙付きだ。なお作者フィリップ・リーヴは、二〇〇七年度(第38回)星雲賞に輝いた『移動都市』(創元SF文庫)の作家で、従来からジュブナイルの性格が強い作品を書き、一定の評価を得てきた。
舞台は紀元五〇〇年頃のブリテン島に設定されている。主人公は、みなしごの少女グウィナである。彼女が働いていた屋敷はアーサーに率いられた軍勢の焼き討ちを受けるが、グウィナは辛くも逃げ延び、吟遊詩人のミルディンに拾われる。このミルディンは実はアーサーの協力者で、グウィナを水の妖精に変装させ、湖の中からアーサーに神剣(という設定の剣だが、実際は行商人からミルディンが購入した剣)を渡すよう命じる。アーサーが土着の精霊に認められたと見せかけるための茶番であった。この計画はうまくいき、本当にアーサーが神々に選ばれたと信じる者が続出、アーサーの名声は高まった。
しかしこの成功は、グウィナの立場を難しくする。万が一、グウィナがあの妖精だとばれては一大事なのだ。そこでミルディンは、グウィナを少年ということにして、アーサー軍団の年若い戦士として一団に紛れ込ませる。
グウィナはしばらく少年兵として過ごし、同僚らと友情を育むが、成長するにつれて性別を偽るのが難しくなってきた。そこでミルディンは、グウィナを密かに連れ出して女性に戻し、今度はアーサーの妃グウェニファーに小間使いとして仕えさせる……。
本書が扱うのは、世界的に有名なイギリスの伝説「アーサー王伝説」である。
アーサー王は、伝説上では騎士道精神を体現する王者であり、古来たいへんな人気がある。彼は名剣エクスカリバーを引き抜いた勇者であり、魔法使いマリーンの手で王者として育成された。そして円卓の騎士を従えて、サクソン人のブリテン進入を退け、巨人を退治、ローマに遠征するなどして活躍した。しかし、妻の王妃グィネビアと部下の騎士ランスロットの道ならぬ恋が発覚した後、円卓の騎士に内紛が起き、遂にはアーサー王自身も深手を負ってしまう。彼はエクスカリバーを水の精に返して行方不明になるが、これはアヴァロン島で休息をとるためとされる。アーサー王は、ブリテンが再び危機に見舞われた際、再び姿を現すことになっているようだ。
この伝説の大半がフィクションであることは明らかだが、サクソン人のブリテン侵入を阻んだ指揮官は実在したと考えられている。アーサー王伝説は、その人物をベースに、後世の人が様々な理想を重ねて成立したというのが通説だ。そして、英語圏における全ての「剣と魔法の物語」のルーツそのものとして、小説や映画を含め、今なお多くの派生作品を生んできた。
その中には、伝説の影に隠れたアーサーの実像に迫る、という趣向のものもある。『アーサー王ここに眠る』はその一つに分類される話で、史実にもとづいてはいないが、「もしアーサーたちが当時から自分たちを伝説化していたら」というアイデアに沿って、いかにもそれらしく書かれている。
本書のアーサー(地の文では、グウィナは終始「アーサー殿」と言っている)は、極めて粗暴な人物として描かれている。司令官や王の器ではなく、単なる「小部族の族長」といった感じで、腕っ節は強いけれど頭はあまり良くない。冒頭のように略奪なども平気でおこない、この時代にはよくあることとはいえ、公序良俗や知識の面から見たら野蛮とすら言える。ローマ帝国時代に建設された街を訪れて、その洗練度に驚きこれを我が物にと望むくだりは、もう完全に「蛮族」である。知識面のみならず、心根においても酷いもので、騎士道精神など望むべくもない。彼は富と権力を追い求め、自分の名声やメンツを重んじる。妃のグウェニファーを手に入れるため、その前夫(一応味方)を闇討ちしたことが仄めかされるなど、もはや人としてアウトな所業もたくさんおこなっている。
正直、人望を得そうな人材とは思えず、みんなよくこんな男に付いて来るなと思うが、それを可能にしているのが、吟遊詩人ミルディンが騙る「物語」である。その中でミルディンは、アーサーとその配下を徹底的に美化し、都合の悪い部分はそぎ落としたうえで、剣と魔法のカッコいい虚構で脚色していく。この「物語」の中で、アーサーは英明な君主にしか見えず、部下たちは悉く勇者である。