そして、娘が父を書いたということに関していえば、父の話を、本人に綿密な取材をした上で子どもが書くことは、簡単なようでじつは非常に難しいことのように思うのだ。父の死後の思い出話としてであればいくらでもありうることだが、まだ存命なうちに、その父親の歴史を丹念に掘り起こすということはじつはほとんどなされていないことなのではないだろうか。
ひとは親が死んだときによくこういう。
「ああ、生きているうちに、もっと話をきいておけばよかった」
と。しかしそう言う人は、親があと10年長く生きていたとしても、決して生きているうちは話を聞かないものであり、そこには親と子の関係の本質的な問題が横たわっているように思う。聞けないのだ。
もちろん城戸父娘の場合は、父親の境遇の特殊性と娘がライターだということが強く関係していることは間違いないが、それでもやはり、娘が父をこれだけ丹念に取材しえたことはまれであり、そしてその娘の助力もあって父自身も自ら出版するに至ったということを考えれば、この2冊の存在自体がじつに稀有な「親子の物語」として成立しているように思う。
その「親子の物語」を娘側から書いたのが、『あの戦争から遠く離れて』の後半部分である。城戸久枝氏が、どうやって父の歴史を紐解いていったのか、その経過が丹念に書かれ、私たちはそれを読みながら父親の実像に近づいていく一人の女性の真摯な姿を見ることになる。そこを読んだとき私たちは、この本が、娘の抜き差しならない父への想い、そして自分の存在への想いから丁寧に編み上げられたものであることを実感するのだ。
「父が私に正面から向き合ってくれているのだと強く感じたのは、二人の祖母の死について聞いたときだった。私は電話で父から聞き取りをしていた。中国の祖母の死について語りだしたとき、父が「ハーッ」と深いため息をついた。そして再び口を開いたときには鼻声になり、声も震えているのがわかった。電話の向こうで父は泣いていた。それでも父は、泣いているのを私に悟られまいと、震える声を押し殺してなんとか話を続けようとしてくれていた。私も気付いていないふりをして、静かに父の言葉に耳を傾けた。父の声、息遣い、そのすべてから、父の悲しみが伝わってきた。」
親子だからできたのかもしれない取材は、同時、親子だから難しい取材でもあったかもしれない。そんなやり取りを10年にわたってじっくりと積み重ねた結果、その取材自体が父と娘の絆へと昇華していった。
「そんな父の娘に生まれたことを、いま、私は心から誇らしく思う――。」
城戸久枝氏は、『あの戦争から遠く離れて』の最後をそう締めくくっている。ノンフィクションが、その作品世界の外にある現実につながっていることを、私はこの作品から改めて感じさせられた。
ただ少々残念に思うのは、この「親子の物語」の父親側が、『「孫玉福」39年目の真実』には描かれていないことだ。もちろん、本のコンセプトと異なるのかもしれないが、両者をあわせて読んだとき、自分の過去を紐解いていく娘を、父がどのように感じながら見ていたのかをとても知りたいと思った。その両面が描き出されていれば、この2冊からは、中国残留孤児の物語を越えた、全く稀有な新たな物語まで見えてくるような気がするからだ。