科学の本ではあるけれどワクワクするほど面白い。
元々『ビッグバン宇宙論』という親本の文庫化で、読んでみると『宇宙創成』の方が内容にふさわしい気がする。人間の知的発展・進歩、あるいは科学の進歩が宇宙を広げてきたのだ、という本である。
そういう意味で「創成」がいい。
宇宙は、地球に生きる生物とはまったく無関係に誕生した。生物的にいう「ヒト」が、物を考え哲学あるいは科学するようになって人間になり、思考するようになって宇宙が「創成」されるわけだ。
さて、朝が来ると太陽があっちから昇ってこっちに消えていく。夜が来れば、おおよそ同じ配置の星が、あっちから現れてこっちに消えていく。毎日毎晩何年も夜空を眺めていると、おおよそ同じ配置の星々と少し違った動きをする星もあると気づいただろう。太陽が昇る位置沈む位置が少しずつ変わって、それがどうも季節と関係があると気づいただろう。
「太陽」だの「星」だのという言葉が生まれる前から、そう、まだヒトの時代からその動きに気づいていたと思う。そこまでは科学以前である。そして物事を考える人間の時代になると、太陽はなんだ? 夜になると出てくる星はなんだ? 夜空でもっとも人間の目をひく月はなんだ? どうして丸くなったり、欠けたり消えたりするのだ?
と身近な星々から始まって、宇宙に興味を持ち始め、それがなんだかを考えるようになった。こうなって初めて、人間にとって「宇宙が誕生する」のだ。人間が考えて解明しようと試みない限り宇宙はなかったといっていいと思う。
そして天動説や地動説が生まれる。
自分たちが生きている足下の地面が猛烈な速度で回っているという感じがまったくないので、大地は不動で、空の星々が周りを巡っているのだと考えるのは、当然だったと思う。
今の私たちだって、教えられなければこの大地が回っているとは思わない。そんなに早く廻っているなら、揺れを感じるはずだろ? と問いつめられれば、答えようがない。海辺にいて、向こうから来る船の煙突から見え始めるので「地球は丸い」とどれほどの人が考えつくのか。地球の把握は随分時間がかかっている。
まず、大地は動かないものであるとして受け入れて、空の太陽や月や星が巡るのであるとする。天動説ですよ。当然、正しいと思いますよ。太陽と月、それに遠くで光る星は、私たちの天を巡っているとして、さて、今でいう太陽系の惑星は「奇妙な動き」をするわけだ。
この奇妙な動きをする星を、天動説のまま非常に複雑な数式でだいたい説明してしまう人がいたので、納得させられたのである。少しおかしくはあったのだが。
一方、もっと簡単に動いているのではないか、もっとシンプルな動きなのではないか、理屈に合っていて簡単な動きということを突き詰めて考えて、あ、太陽が中心と考えれば至極単純ではないか、と導き出した人がいる。その説が地動説ということになる。
その二つの説でいえば、地面が動いているとは思えない「実感的」判断から、ほとんどの人が地動説を受け入れない。それで数百年が過ぎてしまう。科学的には虚しく過ぎてしまった年月かも知れないが、天動説でも地動説でも実際、誰も困らないのだ。