本屋で、最初にこの本を見たとき、「荒野のホームズだとぉ?」と思った。
年季の入ったホームズ・ファンとして、確かホームズはアメリカ西部には行っていないはずだと考えながら棚まで行って、本を手に取ると、カウボーイが馬に乗っている写真があった。
『荒野のホームズ』というタイトルから、アメリカの西部開拓時代に、ホームズのような探偵を設定して創った物語かと思ったらそうではない。カウボーイがホームズ物語に夢中になって、ホームズの推理方法を真似てしまうようになったという話。ホームズかぶれミステリなのだ。
私が、明智小五郎からシャーロック・ホームズに移ったのは小学校の6年生ぐらい。それからずっとホームズとつきあってきた。
コナン・ドイルが書いたシャーロック・ホームズ物語の原作は全部で60編、長編が4作と短編が56作。これしかない。これ以外は、パロディ、パスティーシュ、贋作ということになる。ただ、世界中で愛されているシャーロック・ホームズなので、本物でなくてもホームズとワトソンの関係をいつも通りに描き、その他の常連登場人物をちゃんと登場させ、霧のロンドンの風景や時代背景を描き、「絶対に手を抜いてはいけない、ホームズの部屋にあるさまざまな小物」に言及し、言葉のやりとりも円滑に、作家も腕をふるってかなりしっかりしたホームズ物語に仕上げている作品がたくさんある。
例えば。
『シャーロック・ホームズの秘密ファイル』(創元推理文庫)という作品があって、これは、ホームズの活躍を記録していたワトソンが銀行に預けておいた未発表の事件簿が見つかった、という設定。だから、いわゆるホームズ物語のスタイルを守っている。ホームズとワトソンの約束で、関係者が生きている間は差し障りがあるので、世に出してはいけないという事件について書いたものだったか。この辺は私の記憶が定かではないので間違っていたら失礼。つまり、先に書いた60編以外のホームズ物語が見つかった、という設定なので文体や情況、生活の癖などできるだけ原作に近くというもの。
また、ワトソンがホームズと言葉を交わしていて、あの年は「あの事件があった年だったね」とある事件名を漏らすことがたびたびある。ところが、その事件についての小説は書かれていないことがある。60編の小説の中に名前だけで「顛末が語られることのなかった事件」が出てくる。それに目を付けてしっかり小説に仕立てるという「贋作」の創り方をしていることもある。『シャーロック・ホームズの功績』(早川書房)というのがそれで、ミステリ作家のジョン・ディクスン・カーと、エイドリアン・ドイル、これは名前からわかるようにコナン・ドイルの息子、この二人のよる作品だ。事件の名前だけから一つの物語を書き上げるといった手の込んだ小説。こうなると単にパロディとはいいにくく、うまいなぁ、と思って読んでしまう。中の小説全部が全部面白いわけではないけれど。
同じく早川書房で『シャーロック・ホームズの災難/上・下』という、エラリー・クイーン編集によるホームズ物のパロディ、パスティーシュのアンソロジーもある。アンソロジーを編めるぐらいに書かれているのはやはり世界中の人に読まれているからだ。
日本の作家でも、ホームズが日本に来ている時の物語を書いている人がいる。ホームズは物語の中で「ある事情」があってイギリスを離れ、インドから日本まで来たことを窺わせる記述があるから、その時期に日本でこういう活躍をしたと小説を創るわけだ。また今年の初めに気づいて読んだ「山本周五郎探偵小説全集」(作品社)の第二巻に『シャーロック・ホームズ異聞』という作品があった。新潮社の「山本周五郎全集」には未収録の小説群の中にある一編とのこと。他には、『日本版ホームズ贋作展覧会/上・下』(河出書房新社)という文庫もある。ホームズの個性を好きになってしまうと、どうにかして自分のホームズ物を書きたくなるのだろう。今、新しいものでは、「シャーロック・ホームズの愛弟子」シリーズが集英社文庫から、「シャーロック・ホームズの息子」というシリーズが新潮文庫から出ている。