実際にあった事件を、創作ミステリーでくるんでしまい、話の中に上手に入れてしまうのを「嵌めモノ」と私は勝手に呼んでいる。
この新潮文庫はそれで、まぁ上手に嵌めてある。
名作、大作、のちのちまで残る作品というわけではないが、十分楽しめる。フィクションにしても、ダイアナを「なぜ、どう」殺したのかには興味が湧くと思う。なるほど、こうであってもおかしくない、という展開はミステリー小説らしいところ。
元英国海兵隊のカーバー、この男は事故に見せかけて悪人を始末する仕事をしている。仕掛け人ですね。仕事の発注元がいて、けっこうな金額で誰それを殺せといってくる。それをうまく果たしてため込んだ大金で、どこか島などでのんびり暮らすという主人公の小説はこれまでにもいないことはない。が、久しぶりに出会った。
「元」なんとか、というのが好かれるのか、ミステリー分野にはかなりいる。
さて、本を開くと「もう仕事にかかっている」ところで、猛烈な速度で走るベンツと、それを追いかける何台かの「パパラッチ」のバイクという状況の中にカーバーもいる。その高速で走っている車の中には、見えないけれど、悪辣なテロリストがいて、ヤツを殺してくれというのが今回の依頼。ある手段を用いて、事故に見せかけてその車を大破させることに成功する。ここまではほぼ実際の事件を下敷きにしているのだろう。
と、その直後から、車を追いかけていたバイクの中に、カーバーの命を奪おうと襲ってくる者がいることに気づく。
「俺を始末する気だ!」。
という始まりで、はじめから走りっぱなしで大変。
その場は何とか助かり、逃げおおして、テレビでニュースを見ると、大破させた車に乗っていたのはテロリストではなく、ダイアナ妃であることがわかる。小説の中では「ダイアナ妃」とは書かないのだが。
愕然!!!
その時点では、はっきり「死」の報道は流れていないが、俺が殺してしまったのはダイアナだった! である。
俺を騙してプリンセスを殺させた上に、それが永遠にばれないようにと俺を殺せとも命じた者がいる、その向こうに金を出して全体を計画した者もいるのだろう。
そいつらを見つけ出して殺さないでは気が済まない、という、話としては単純な、筋道のたどりやすい小説である。でも、そこに、英仏の情報部、警察機構、ロシアンマフィアとにぎやかな人々が集まってきて、依頼が成功したことを喜んでいる者、しかし、カーバーを始末できなかったことでいきり立っている者、全体を知っていて秘密を守りたい者、他人の仕業ではあるがそれを利用して自分の地位を優位にしたい者などが陰惨な争いを繰り広げるという話である。
誰が、なぜ、プリンセスを殺せと依頼したか。彼女が世界的に人気のある存在であって、ある行動に情熱を注ぎ始めたことによって、損害を被る者がいるのだ。そいつが、仕事の大元。
実際には、昨2008年に、あれは全くの事故であって、誰かが仕組んだとか、陰謀だとかいうことはないという調査結果が発表になったが、この小説を読むと、んん、こうであってもおかしくないと感じさせる。その辺の嵌め込み方が上手。
最近、国際的な事件に主人公が関わるミステリーに、非常の多くのロシアンマフィアが登場する。KGBの幹部だった人間が政府の払い下げの武器だの、施設だの、工場だのを安く手に入れてそれで巨額の金を儲けて、裏の世界で強大な組織的力を持つに至る、という前提。カーバーは自分の腕を信じる一匹狼でいこうとはしているが、裏の組織が完備されて、仕事をきちんと果たしたかどうかを二重三重に見張られたり、「お前がイヤなら他にいくらもいる」といわれると、なかなか一匹狼では立ち向かえない。組織を利用してやろうとしても、実は使用されてしまう。挙げ句、始末されてしまいそうになるということに。殺し屋もつらいよ、ではある。
『黒衣の処刑人』というのはあまり上手なタイトルとは思えないけれど、新幹線や飛行機で旅するときの時間を埋めるのにちょうどいい本。じっくり腰を据えて読むという深さはないけれど、小説家の「技」が生きている。読ませ上手とでもいうか、面白い。とはいうものの、読後感が「重い」ので覚悟して読んでください。