早川書房は、翻訳小説に強い出版社である。そしてこの定評を確立したのは、専門誌である《エラリイ・クイーンズ・ミステリ・マガジン(略称EQMM、現ハヤカワミステリマガジン)》と《SFマガジン》、そして叢書のハヤカワ・ミステリ(通称ポケミス)とハヤカワSFシリーズによるところが大きい。一九五〇年代以降、早川書房はこれらの媒体を通して海外ミステリと海外SFのラインナップを質量ともに充実させていったのである。二十世紀中葉、翻訳娯楽小説で早川書房に対抗できたのは、辛うじて東京創元社ぐらいのものであった。
本書『都筑道夫ポケミス全解説』は、そのポケミス、ハヤカワSFシリーズに都筑道夫が書いた解説と、EQMMに連載されたエッセイ「ぺいぱあ・ないふ」を集成した、たいへん貴重な一冊である。
……と言っただけでは、今の一般読者には、この本の位置づけがよくわからない人もいるのではないだろうか。都筑道夫の功績を全く知らない人にとって、本書は何の興味もひかない本になってしまうに違いない。
そこでまず、都筑道夫の説明から始めさせてもらおう。
都筑道夫は娯楽小説界において、様々な「顔」を使い分けた人物である。残した業績は多岐にわたるが、ポイントは、いずれの「顔」も少々通好みのものであったということだ。彼は大変なビッグ・ネームだったものの、マニア受けする側面が強く、特に現在、一般的な知名度や人気が果たしていかほどのものかは不安が残る。著作には絶版品切れも多いし、最近は映像作品の原作になることもほとんどない。このため、二十一世紀の非マニア層が、都筑道夫の業績に(マニアからの教唆を受けずに)自然と直接触れる状況にあるとは考えづらいのである。この点で、都筑道夫は江戸川乱歩や横溝正史とは全く異なる地位を占めているし、山田風太郎・松本清張・小松左京などと比べても、存在そのものがややマニアックであることは間違いない。
都筑道夫第一の顔は、ミステリ作家としてのそれだ。メタ・ミステリである『猫の舌に釘をうて』(光文社文庫)、同じくメタフィクションの手法を採用しながら痛快なスパイ小説でもあるという『三重露出』(光文社文庫)、安楽椅子探偵ものである『退職刑事』シリーズ(創元推理文庫)、ガチガチのロジックで固めた本格ミステリ『七十五羽の烏』(光文社文庫)、荒唐無稽だが面白さ無類のアクション小説『なめくじに聞いてみろ』(扶桑社文庫)や『暗殺教程』(光文社文庫)、ハードボイルド『探偵は眠らない』(光文社文庫)、はたまた捕り物帖である『なめくじ長屋捕物さわぎ』シリーズ(光文社文庫)などで読者を魅了した。
これだけでも驚異的なのに、都筑道夫はミステリ作家としてだけではなく、ホラー作家・伝奇作家・SF作家としての顔をも持っていた。怪奇短編集成の『悪魔はあくまで悪魔である』(ちくま文庫)や、吸血鬼ものの長編『血のスープ』(光文社文庫)、ホラーとミステリを融合した『雪崩連太郎全集』(ちくま文庫)、伝奇小説『魔海風雲録』(光文社文庫)、SF『飛び去りしものの伝説』(光文社文庫)などを上梓し、いずれもそのジャンルのファンから高い評価を受けているのである。おまけに『都筑道夫少年小説コレクション』が全6巻にて本の雑誌社から出ているように、少年小説の分野でも足跡を残した。
以上に見た彼の作家としての業績は、ヴァリエーションの豊富さで他の追随を許さない。しかし最も注目すべきは、どの作品も非常に手が込んでいるということである。作品のアイデア、プロット、文章、キャラクター、舞台設定からは、当該ジャンルのルーツと将来を徹底的に突き詰めた人特有の、強いこだわりが感じられる。非マニアであってももちろん楽しめるが、マニアであればあるほど、作品の真価は理解しやすいだろう。