ミステリの定番ネタの一つに、<スモールタウンの犯罪>というものがある。舞台となるのは、田舎の小村や郊外住宅地(サバービア)といった比較的小規模なコミュニティだ。変化に乏しく、やや沈滞気味ではあるものの、反面、のどかで平穏な日々がなにごともなく過ぎていく“閉ざされた社会”。だが、いつまでも心地よさが続くわけではない。閉ざされているが故に出口を見いだせず、澱のようにたまった不平や不満は、いつしかごく普通の人の心をもむしばんでいく。そして臨界に達したとき、殺人事件へと発展してしまう。恐怖に駆られた住人たちは、仲間の死を悼む一方で猜疑心にとりつかれ始める。それまで無意識のうちに封印されてきた嫉妬や怨嗟、偏見といった負の感情が、あちこちで噴き出す。コミュニティは内部から揺さぶられ、絆――良きにつけ悪しきにつけ、スモールタウンの住人の日常生活の核であったモノ――はほころび、事件解決後も完全にもとの姿にもどることはない。
こうしたタイプのミステリを書かせたら、イギリス人の右に出るものはいない。もともと英国のミステリ界では、ロンドンのような大都市よりも、セント・メアリ・ミード村――言わずと知れたミス・マープルの住む村――に代表される、牧歌的だけれども癖のある田舎の村を舞台にした、伝統的な殺人事件の物語(オールド・ファッションド・マーダー・ケース)が主流だった。その後、個性豊かな地方都市――オックスフォードやバースやエディンバラ――を根城にしたシリーズが次々に登場する一方、鄙びた田舎の小村での謎解きミステリは、依然として根強い人気を誇っている。
とりわけ、小さな世界に住む人たちの内面を深く掘り下げ、葛藤や懊悩を描いて、苦く渋い後味とほのかな救いを醸し出すのが最近の流行だ。イギリス最北端の地・シェトランド諸島を舞台に、濃密な人間関係が引き起こした女子高生殺害事件を描く、アン・クリーヴスの『大鴉の啼く冬』(創元推理文庫)などは、その好例である。
この作品は、二〇〇六年度の英国推理作家協会賞最優秀長篇賞を受賞したが、そのとき最終候補作の一つにノミネートされたのが、本書『法人類学者デイヴィッド・ハンター』(ヴィレッジブックス)だ。イングランド東部の田園地帯ノーフォーク――主な産業は農業と観光――の中でも、一際片田舎の地・マナムを舞台に起きる連続誘拐殺人事件を、村の診療所に勤める元法人類学者が解明する謎解きミステリの傑作である。
主人公のデイヴィッドは、かつて、世界を股にかけて活躍する優秀な法人類学者だった。けれども理不尽な交通事故で妻子を失った際に、自らの職業に疑念を覚え、ロンドンからノーフォークの片田舎の診療所に逃避。雇い主に対してさえ過去を語ることなく、単調な日々に悲しみを紛らわせて、日向水につかるような生活を送っていた。
だが事件から三年、同じくロンドンから移住してきた知人の女流作家が、森の中で腐乱死体となって発見されたのをきっかけに、再び、犯罪捜査の世界へと舞い戻る羽目になる。地元警察の要請に従い、周囲には内緒のままに持ち前の技量を駆使して、犯人像を絞り込んでいくデイヴィッド。彼の行動を胡散臭く感じた住人たちの中に、彼が犯人ではないかという噂が流れ始める。「森林やよどんだ沼地、水はけの悪い湿地にかこまれた、文字通りにも比喩的な意味でも、停滞した場所」であり、「人づきあいを嫌う老人のように孤独に引きこもっていた」マナム。そんな“閉ざされた社会”において、たかだか三年間暮らしている元ロンドンっ子など、所詮は観光客と同列の部外者に過ぎないことを、デイヴィッドはいやと言うほど思い知らされる。やがて、土地で生まれ育った女性が失踪し、村中に不穏な空気が立ちこめ始め、デイヴィッドの周りにもきな臭い影が……。
緻密な伏線に意外な真相、そしてスリリングな展開と、<スモールタウンもの>としても十分に愉しい本書を、さらに面白くしているのが、主人公の設定だ。「CSI:科学捜査班」や「BONES-骨は語る-」といったテレビドラマがヒットしたおかげで、ここ数年、にわかに知名度が上がった法人類学者。彼らは、死後何年も経った白骨や損壊が激しい遺体に残されたわずかな手がかりをもとに、性別、人種、年齢、そして名前までをつきとめる。これまでにも現役の法人類学者でもあるキャスリーン・レイクスの<テンペ・ブレナン・シリーズ>――「BONES」の原案――や、パトリシア・コーンウェルの『死体農場』(講談社文庫)などで、スポットライトがあてられた犯罪捜査のスペシャリストだが、サイモン・ベケットの手により、ここにまた一人、骨が語る真実の声を聞き取ることができる名探偵が誕生した。
本書は、伝統的な英国スタイルに最先端の米国産の手法を取り入れた、謎解きミステリの傑作だ。既に本国では、第三作まで出版されていて、次作ではスコットランドの沖合に浮かぶヘブリディーズ諸島の孤島が、三作目では、テネシー州にある“死体農場”ことテネシー大学人類学研究所――本シリーズ誕生のきっかけとなった、世界で唯一、本物の人間の死体を使って死後の人体の変化を研究する法人類学のメッカ――が舞台となる。
「骨が語る話はときとして身の毛がよだつほどおそろしく、また我を忘れるほどおもしろい」とは、伝説的な法人類学者で“死体農場”の創設者でもあるビル・バス教授の言葉だが、まさにこの名言にぴったりの次作が楽しみなシリーズである。