しかし事件の山場で、米澤穂信は結城理久彦を通じて、本格ミステリ・マニアにメタ・フィクショナルな皮肉を仕掛けてくる。事件があまりにも本格ミステリっぽいので、理久彦は次第に、理屈で全てを判断するようになっていた。「本格ミステリ脳になってしまう」といったところだろうか。しかし人間は感情の動物であって、論理を無視して突っ走ることもよくある。彼はこのことを失念し、理屈が通じなくなった人間に足元をすくわれてしまうのである。
理久彦が「本格ミステリだから、みんな型どおりに動くんだろ?」と思い込み、その結果失敗する。まあ調子に乗り過ぎましたね、ということなのだろうが、よく考えてみると、本格ミステリの登場人物を常日頃もっとも型にはめて考えたがるのは我々「読者」に他ならない。米澤穂信は、ここで読者に皮肉に満ちた目配せを送っているわけである。
かくて、自信満々だった理久彦の鼻っ柱は盛大に折られることになる。だが理久彦の心は折れていなかった。そればかりか、暗鬼館に入った者の運命と人命を弄ぶ主催者に対し、望みどおりの展開は絶対阻止してやると闘志を燃やすのである。本格ミステリの「空気」なんて読まないと断言し、強い自意識ゆえに守ってきた「自分のキャラ」を理久彦はかなぐり捨てる。理久彦が熱い言動を見せる事件の最終幕では、彼は普通にいい奴に見えます。それまで皮肉・冷静で通して来ただけに、読者に与えるインパクトは絶大だ。
『インシテミル』で理久彦が示すこの反応は、先述の『バトル・ロワイアル』の主人公と比較に通底するものがある。『バトル・ロワイアル』は、国家権力によって強制されて同級生同士が殺し合うという物語だが、その国家に反発して協力し、脱出を試みる生徒たちも出てくる。主人公の七原秋也もそういった生徒の一人だった。国家権力に対峙する彼らの姿勢は、『インシテミル』で理久彦が主催者に見せる反骨精神と重ねることができる。作品の舞台を真に支配する勢力に対する、根本的な苛立ちと怒りは、たとえ周りの状況が殺戮ゲームや推理ゲームであろうとも、読者の胸に届く何かを持っているのである。
なお自意識や反発心は、専売特許とまでは言わないが、青春小説にはよく見られるモチーフである。そして、結城理久彦は高校生ではないものの、現役バリバリの大学生であり、青春期の真っ只中にいる(ひょっとすると中高生はそうは思ってくれないかも知れないが、我々おじさんおばさんから見ると十分そうなんです!)。
というわけで断言しよう。『インシテミル』は、ガチガチの本格ミステリだが、主人公・結城理久彦の物語として見れば、やはり青春ミステリでもあるのだ。本書は米澤穂信にあっては異色作である。しかしそれでも他の作品と共通するものはあるのだ。ファンとして、断じて何の含みもなく、非常に微笑ましく思う。
なお、普段が理性的なぶん感情が噴出した時の効果が抜群であること、そして自意識が強いことは、《古典部シリーズ》の折木奉太郎、《小市民シリーズ》の小鳩常悟朗、そして『ボトルネック』の主人公・嵯峨野リョウにも、程度の差こそあれ共通している。ゆえに米澤穂信ファンにとって、結城理久彦は馴染み深く感じられるはずだ。あまりにも本格ミステリっぽい粗筋に躊躇して、『インシテミル』を読んでいない米澤穂信ファンがいるならば、それはとてももったいないことである。