と、最初の事件が起きるまでの粗筋を見ただけでも、人為的要素が混入するクローズド・サークルものであることがわかるだろう。
その後も事情は変わらない。ストーリーは暗鬼館での犯人探しに集中し、各登場人物への肉付けがこの作家にしては薄いため、キャラクター小説として読むことは困難であるなど、いつもの米澤穂信とは様子が異なるのである。さらに主催者側はこのイベントを「実験」と言い放ち、人工的かつ理知的な試みであることを隠そうとしないのだが、結局真の目的は明かされないまま話が終わってしまう。『インシテミル』は明らかに、『極限推理コロシアム』の眷属といえるのである。
ただし作品内での犯人特定論理はしっかりしたもので、これは『極限推理コロシアム』とは――幸いにして――大いに異なる。文章だって達者、非常に読みやすい。ゲーム性が強調され異形化したクローズド・サークルものを味わう場合、『インシテミル』は現時点でベストの選択肢といえよう。
『インシテミル』のような作品を米澤穂信が書いたという事実は、二〇〇七年当時、結構な衝撃であった。米澤穂信はそれまで《古典部シリーズ》や《小市民シリーズ》で青春ミステリの名手と認識されていたわけで、『極限推理コロシアム』風の作品はおろか、クローズド・サークルのような意匠を使ってガチガチの本格ミステリを書く作家とは認識されていなかった。しかし米澤穂信は、実は古今の本格ミステリにかなり精通している。論より証拠、この『インシテミル』では古典本格に対するオマージュがそこかしこに見て取れるのだ。
各参加者に渡された凶器からしてオマージュ臭が強い。これらの凶器は、古典本格に出て来たものに統一されているのだ。主人公である理久彦の凶器は火かき棒で、出典元はアーサー・コナン・ドイル「まだらの紐」(『シャーロック・ホームズの冒険』所収、版元は新潮社文庫・創元推理文庫など多数)である。この他、ジョン・ディクスン・カー『緑のカプセルの謎』(創元推理文庫)、エラリイ・クイーン『Yの悲劇』(創元推理文庫またはハヤカワ文庫HM)、ヴァン・ダイン『僧正殺人事件』(創元推理文庫)、E・C・ベントリー『トレント最後の事件』(創元推理文庫)など、有名作品から凶器が持ち出されている。本格ミステリ・ファンはニヤリとさせられるが、嬉しいことに、これは作者のお遊びというだけではない。詳しく書けないが、用意された凶器がなぜそれだったのか、ということがちょっとしたヒントになってくるのである。なかなか心憎い仕掛けである。
他にも、12体のネイティブアメリカンの人形が置かれていたり、カード・キーに《十戒》が刻まれていたりと、本格ミステリ・ファンをくすぐる小ネタに事欠かない。
『インシテミル』で、米澤穂信は本格ミステリへの愛情を実作の上で初めて明確にしてみせた。現時点で、彼の作品でこれ以上にガチガチの本格ミステリは存在しない。彼の作家性を考えるうえで、本書は極めて貴重なのである。
さて最後に、主人公・結城理久彦のキャラクターについて触れておきたい。というのも、彼が非常に「米澤作品らしい」登場人物だからである。
理久彦は暗鬼館によく馴染んでいる。初期こそ犯人の影に怯え、先述の火かき棒を抱えて寝たりするが、次第に落ち着いてきて本来の性格をはっきり見せ始める。誰がどう殺されても、彼は強い怒りや悲しみ、恐れを感じたりしない。それどころか追悼もそこそこに、誰がどうやったらこの殺人を実行できたか、現時点で誰の報酬がどれくらいになっているかを冷静に検証し始めるのだ。これは感覚が麻痺してきたからではない。本当に元からこういう奴なのである。その証拠に、暗鬼館に入る前、参加者十二人が揃って主催者から説明を受けるシーンで、彼は既に冷静に周囲の状況を観察し、他の参加者の性格を分析しかけている。視点人物であるくせにかなり飄々としており、他人に感情移入することがほとんどないことも特徴といえるだろう。
唯一の例外は、場違いなほどお嬢様で美人の須和名祥子に興味を示すところぐらいだろうか。ただしこれは「感情移入」というよりも、「充実したキャンパス・ライフのためにクルマが欲しい」と願うような人間は美女に目を奪われて当然、と考えればしっくり来る。実際、彼は須和名と恋愛関係に及ぶなんてことは全く考えていない。でも美人というだけでちょっと気になるんですよね、ウンわかります。そして事実、理久彦と祥子の間に信頼関係は特に醸成されない。ただし理久彦の知力に関しては祥子も興味を示して……まあこれはラストに関係するので、触れないでおこう。
なお理久彦本人は、自分が変な奴であるとは全く思っていない。暗鬼館の状況が状況であること、視点人物が理久彦自身であることが相俟って、理久彦の奇妙な部分はあまり目立たないのだが、事あるごとに他の人物から「この期に及んで暢気だな」などと呆れられており、人から見ると相当変な奴なのだろう。
ポイントは、理久彦が皮肉や韜晦を多用するということだ。彼は他人にも自分にも冷たい視線――しばしば冷笑的ですらある――を投げかけているが、その背景に自分の知性への自信があることは明らかだ。自意識も強いことが伺われる。