このレビューがサイトにアップされる本日・2009年4月15日(水)から、東京・池袋の新文芸坐で、「芸能生活70年 淡島千景の歩み」と題した連続上映がはじまった。映画デビュー作である『てんやわんや』から90年代の『夏の庭 The Friends』まで、あわせて28本。女優・淡島千景の堂々たる特集上映である。
そして特集上映の副題に「淡島千景 女優というプリズム」出版記念、とある。70年という驚異的に長い活動期間の節目にあたり、こうして連続上映と著作が同時に世に出るのだから、これはもう、お祭りといっていいだろう。淡島千景とは、果たしてどのような女優だったのか。いま、あらためてその存在を凝視し、語り、「発見」する絶好の機会がやってきた。さっそく、『淡島千景 女優というプリズム』を読んでみよう。
【(渋谷実の真似をして)「チュブダテテ、チュブダテテ!」って。「ツブ」じゃないのよ(笑)。(中略)「粒立てて」っていうのは、結局、言葉が流れていかないように、そこだけは特別にハッキリ言わないとダメ、ということだと思います。セリフや芝居が、何となくここまできちゃった、という感じで流れていくんじゃなくて、「そこに何かあるんだな。あ、それでそこにきたんだ」って、観ているお客さんにも勘どころがわかるように、ということを先生はおっしゃっていたんだと思います。「メリハリよく」って言えばわかるかな?】
いきなり、淡島千景全開! の箇所を引用してみた。最後に【「メリハリよく」って言えばわかるかな?】と、話をわかりやすく一般化しようとしているが、ここで語られていること、あるいは彼女が語ろうとしていることは、メリハリのよさ、といったような事柄をはるかに超えた何かである。つまり、映画監督の渋谷実が現場で指示した「粒立てて」という要請について淡島千景は完璧に理解しており、しかし自分自身が理解していることを映画の現場の外側の言葉(例えば映画批評のような言葉もそこには含まれるかもしれない)ではあらわしにくい。そこで、思わずこんなふうな言い方で人々に伝えることになる……。
『淡島千景 女優というプリズム』は、複数のインタビュアーによる複数回のインタビューを中心に、各インタビュアーがそれぞれの関心とテーマで淡島千景を分析したエッセイを挟むような構成を取っている。インタビューはまず、淡島千景本人に対し、出演作品の映像を見ながらそれぞれの作品の全体や個々のシーンについて詳細に聞いたものが第1部。また第2部では、「淡島千景へのまなざし」として、淡島千景の最大のファンを自認する女優の淡路恵子(「淡」の一文字をもらっている)と、単なるマネジメントにとどまらないパートナーとしてユニークな関係を築き上げたマネージャーの垣内健二に対して行なわれ、さらに『夫婦善哉』や「駅前シリーズ」などで「日本映画史上屈指の名コンビ」と言われた森繁久彌の談話が収録されている。加えて、キャリア70年におよぶ年譜が巻末に付く。
【二人でお茶を飲んで、「それであんた、その話決めちゃったの」って、これだけよ。原さんのお茶碗と私のお茶碗の高さが、これくらい違うのよね。その位置関係が同じくらいのまま、手が降りていく早さが揃ってないといけないんです。お茶碗を置いて、「あんたその話決めちゃったの」って言って、原さんの方を見る。そこも、「それであんた」って言ってから、あまり早く「決めちゃったの」って言って原さんを見ちゃいけない。原さんがお茶碗を置いて、一呼吸したときに、「決めちゃったの」って、こう聞かなきゃいけないのよ。それだけの間のことなのよ(笑)。】
長くなったがこれも淡島千景の面目が躍如としている発言だと思うので引用した。これは、小津安二郎の『麦秋』についての回想。秋田に嫁に行くことに決めた間宮紀子(原節子)と、親友の田村アヤ(淡島千景)が並んでお茶を飲むシーンである。小津の映画では、2人の人物が同一方向を向いて横に並んでいるという場面がしばしば現れるが、これもそうした構図の一つだ。小津が何度もダメ出しをし、都合20回以上のテイクを重ねたというシーンなのだが、具体的に何がどうダメかというその経緯と内容を、身体の記憶で丸ごと語っている。この圧倒的なプレゼンス! しかも、涼しげな語り口。