こうした特長は、シリーズ作品においてより強く、濃密にうかがえる。ニューヨーク市警の“氷の天使”ことキャシー・マロリーの活躍を描いたシリーズは、現代ミステリの可能性を切り開いた先駆的な作品であると同時に、時の流れに侵蝕されない古典の要素をも持つ、たぐいまれなシリーズなのだ。
その秘密は、なによりもまず主人公の造形にある。流れる金髪に、一切の感情を映し出さない冷たく深い碧の眼。五フィート十インチの長身を、Tシャツとブルージーンズ、そして特注の黒いカシミヤのブレザーに包み、大型の拳銃を携え、ニューヨークの街並みをしなやかに歩く重大犯罪課巡査部長、キャシー・マロリー。元ストリート・チルドレンにして盗みの天才、「殺人は最高のゲーム」と言い切り、コンピューターを駆使して犯罪者を追いつめていく彼女は、正義の履行者というよりは、社会病質者(ソシオパス)に近い存在だ。このあまりに現実離れした設定に鼻白む方もいるかもしれない。だが待って欲しい。この極端さ純粋さこそが、シャーロック・ホームズ以来の伝統的な名探偵の条件ではなかったか。ミステリ史上、もっともクールで美しくタフで非人間的なマロリーは、まさに名探偵の究極の形といえよう。
当然の帰結として、彼女が取り組む事件は、どれもとびきりの謎と妖しさにみちている。だがそれだけではない。この名探偵は、同時に卑しき街を往くタフガイの末裔でもあるのだ。第一作の『氷の天使』は、 そんな彼女にふさわしく、養父であり同僚でもあったマーコヴィッツ刑事が殺されるシーンで幕を開ける。マンハッタンで白昼堂々と行われる連続老女殺害事件。最新の犠牲者の横で斃れていたマーコヴィッツの死体を前に、復讐を誓ったマロリーは、上司の制止を無視して独自の調査を開始する。そんな彼女の前に現れる、降霊術師や大マジシャンの未亡人。衆人環視の中、なんの痕跡も残さず犯行現場から消え去るという不可能犯罪事件は、やがて文字通り魔術に彩られ、マロリーの身にも危機が迫る。
謎の設定や、極端な人物造形、そして妖しい小道具――霊能力者やマジシャン――といった要素からも明らかなように、この作品は、ネットワークが行き渡った現代のニューヨークを舞台にし、警察官を主人公にしながら、いわゆるリアリズムを意図的に避けた作りになっている。無論、このリアリズムの欠如、即ち同時代性の欠如こそ、作者の狙いに他ならない。なぜなら、彼女が読者に提供したかったのは、第一級のイリュージョンなのだから。この姿勢は、シリーズ全体を通じて一貫しており、特に第五作の『魔術師の夜』は、主要登場人物全員がマジシャンで、一九四〇年代のナチス占領下のパリと現代のニューヨークを舞台に、マジックの上演中の殺人を描くという徹底した作りになっている。こんな一歩間違えば、絵空事になりかねない物語を、逆にリアルに生き生きとしたものにしているのが、先にも挙げた、幻想感を漂わせながら、うねり脈打つ文章なのだ。オコンネルの小説を読むたびに、言葉の持つ力を再認識させられる(原文の魅力を十二分に引き出した上で、美しい日本語に仕上げ直した訳者・務台夏子の力量があってのことで、その点オコンネルは、理想的な翻訳者に巡り会えたといっていい)。
さて冒頭に、誰にでも気兼ねなく自信を持って薦められる数少ない作家、と書いたものの、実はひとつだけ気に掛かるというか、残念な点がある。実は、これだけの傑作にもかかわらず、マロリー・シリーズは、第一作の『氷の天使』を除いて、版元品切状態なのだ。上流階級が集うマンハッタンの高級コンドミニアムを舞台にした『アマンダの影』、ニューヨークの美術界を舞台に、名刑事マーコヴィッツでさえ解決できなかった十二年前の二重惨殺事件の謎と現代のアーティスト殺しの謎をマロリーが追う『死のオブジェ』、舞台は深南部、骨格はマカロニ・ウェスタン、スタイルはハードボイルド、テーマは愛と復讐、そして再生。ストリート・チルドレンになる以前のマロリーの過去が明らかになるシリーズ最高傑作の『天使の帰郷』、そして前述の『魔術師の夜』。これらすべてが、発売わずか数年にして手に入らないというのは、あまりにも残念だ。翻訳ミステリ界の損失といっても言い。その責任の一端が、オコンネルの魅力を十二分に伝えられなかった我々書評家にあることを棚に上げた上でお願いします。東京創元社様、どうかこの記念すべき年にマロリー・シリーズに再び陽を当ててくださいませ。