ところが次の『夏期限定トロピカルパフェ事件』で、読者は驚倒することになる。話が思いもよらぬ方向にゴロリと転がったからである。このシリーズ第二作は、前作に続いて連作短編集の形式をとっており、最初のうちは前作同様、可愛らしい日常の謎を扱っていた。しかし最後の最後で、小佐内さんが誘拐されるという大事件が起きる。「互恵関係」とか何とか言いながら、お前やっぱ小佐内さんのことが好きなんだろウリウリ、とやりたくなる小鳩くんが彼女を助けるため、ヒロイックに(でもちょっと抜けてる感じで)立ち上がる――なんて話になれば、誰も一向に驚かなかったんですがね。でも、そんな平穏なもんじゃなかった。本書の終盤で立ち込める「暗雲」は、あまりにもシビアでシリアスである。私のような老いぼれは、青春小説を読むと「おおやっとるやっとる。若いもんはええのう」と、嫌らしい薄ら笑いを浮かべがちだが、それが瞬時に引っ込んだ。小鳩常悟朗の圧倒的な「名探偵」っぷりと、小佐内ゆきの不気味な存在感が対峙され、その果てに名探偵という存在の難しさが浮かび上がって来る。これに痺れない本格ミステリ・ファンはいないだろう。
しかしこれ以上内容に踏み込むと、『夏期限定』最大のネタばらしになるんで、ちょっと書けません。シリーズが本当に面白くなるのは『夏期限定』からなのに、第二作の未読者にはそれを具体的に紹介できないのだ。これでは、『春期限定』だけ手にとって「自分には関係ない作品だな」と決め込んで見捨てた読者がいても、説得できないではないか! こういう作品が途中にあるシリーズって、紹介者泣かせなんですよねえ。
なお、『夏期限定』の解説者は小池啓介さんだが、この解説はシリーズの本質をズバリと突くすばらしいものであり、「解説を読んでシリーズを読むかどうか決める」人は、『春期限定』ではなく『夏期限定』の解説を読んでください。
しかし、米澤穂信は『夏期限定』で急変したわけではない。それ以前から兆候はあったのである。『春期限定』と『夏期限定』の間に、彼は《古典部シリーズ》第三作『クドリャフカの順番』(角川書店)と、《S&Rシリーズ》の『犬はどこだ』(創元推理文庫)を上梓した。そして特に後者は、人間の暗部をもじゅうぶん描き出した作品となり、読者に「この人はこういう作品も書けるのか」と認識を改めさせている。更に米澤穂信は、各種インタビューに答えて、自分は思春期の人間が持つ「全能感」を中心テーマに据えていることを明らかにし始めた。
思春期の人間は、自分が特別な人間であるとか、他の奴らは阿呆だとか、何だかよくわからない根拠なき自信を抱きがちである。その過剰な自意識と、その揺れをテーマにするのだから、作者が登場人物に対して意地悪にならないわけがない。またそれはよく読めば、『氷菓』『愚者のエンドロール』『さよなら妖精』『春期限定』から確かに出ていた。支度は整っていたのだ。『夏期限定』は、それが誰でもわかる形で噴出した最初の一例である。
小佐内ゆきは、「狼」は、自分と小鳩常悟朗に触れて、クライマックスでこう言う。
「残るのは、傲慢なだけの高校生が二人なんだわ……」
この台詞が、心に重くのしかかる実に深刻なものとして響くように、米澤穂信は一冊をかけて、いや『春期限定』の頃から二冊かけて、状況を地ならしした。その手際を、私は感嘆の目をもって見る。
続く『秋期限定栗きんとん事件』は、シリーズ初の実質的な長編、しかも上下巻構成である。小鳩くんに彼女ができ(!)、彼の望む「小市民」が手に入るように思えていた。そんな頃、市中で連続放火事件が発生する。小鳩くんの正体を知る旧友でナイスガイの堂島健吾は、新聞部の部長を務めていた。その後輩の新聞部員・瓜野くんは、スクープをものにしようとその放火事件を追い始めて……。瓜野くんが小佐内さんに懸想しているのも重要なポイント。
『春期限定』と『夏期限定』は、小鳩くんが一人称で主役を務めたが、『秋期限定』は小鳩くんと瓜野くんが交互に一人称で視点人物を務めている。小鳩くんはもちろんいつもの飄々とした調子だが、瓜野くんの方がなかなかの熱血キャラで面白い。一人称は「おれ」で、教師や先輩、同僚の反対をものともせず、一本気だが骨のあるところを見せる。こういう威勢のいいキャラクターを、米澤穂信がどう扱うかと思って読んでいくと――ここから先は言わぬが華だろう。
『秋期限定』で顕在化したのは、「狐」と「狼」、すなわち小鳩常悟朗と小佐内ゆきの異常性である。『夏期限定』までは、探偵癖やら何やら、変な趣味というか癖をお持ちですね、という感じに過ぎなかった(特に小鳩くんは)のだが、『秋期限定』で、この二人が精神的にちょっと異形であることを、米澤穂信は誰にでもわかる形で示している。小鳩くんも小佐内さんも他人にあんまり興味がない、ということは過去二作でも時折触れられていたが、『秋期限定』でそれは全開になっている。終盤の会話内容から伺える、小鳩常悟朗と小佐内ゆきの自意識の強さと来たら、ほとんど猟奇的とすら言える。このため、『秋期限定』はシリーズ中、間違いなく一番「ヤな話」になっていると評価できるはずだ。しかし、長編ならではの緊密な構成と伏線が、最後の種明かしの際に爽快感を生んでいるのである。
かくて、おぞましいのに爽快という矛盾を孕み、シリーズ第三作は幕を下ろす。才ある作家にしかできない芸当で、強い感銘を受けた。
《小市民シリーズ》は、創元推理文庫を代表するばかりか、現代日本ミステリ界を代表する名シリーズにすらなっている。しかしそれも、残すところあと一作、『冬期限定~』のみである。数年前から構想は固まっているようなので、この上は一刻も早く出してもらって、読者を圧倒し尽くし、完結をもって正式に、平成または二十一世紀が生んだ記念碑的ミステリ・シリーズとして歴史にその名を刻んで欲しい。期待しています。