舩戸高校に通う、同級生の小鳩常悟朗と小佐内ゆきは、恋愛関係でも依存関係でもない「互恵関係」を取り結び、ある共同の目的のため、互いに利用し合って良いという約束を交わしていた。その目的とは――小市民になること。この二人、実はそれぞれかなり特殊な性格と才能を持っていて、そのため中学生時代までは人から敬遠され嫌われるなど、散々な思いをしてきたのである。《小市民シリーズ》は、そんな小鳩くんと小佐内さんが、「無芸で現状に満足する、幸せの青い鳥はわたしの部屋にいたのね的な」目立たない小市民を目指す、魂の闘いの記録である。
……と紹介しただけでは、どこがミステリなのかと言われそうだ。
このシリーズは創元推理文庫の屋台骨の一つに成長して久しいけれど、未読の方、特に中高年層からいまだに偏見の目を向けられているんじゃないかと危惧する。なぜなら、読者の世代によっては、外装が少々ポップ過ぎるかも知れないからだ。上記概要には、調子ぶっこいた高校生がキャアキャア騒ぐだけの底の浅い物語、なんて(読みもしないで)軽々しく判断されそうな要素が満載だ。また表紙の絵柄がポップなのも中高年層にとっては問題かも知れない。手にとるのが恥ずかしいと思う人だっているんじゃないか。筆者は、ブログやSNS等で実際にこういう意見を見かけたことがあります。
加えて、シリーズ第一作『春期限定いちごタルト事件』は、解説のクオリティが……まるで作者に対するファンレターのようで、まあそれはそれでいいんですが、肝心の作品内容の説明があまりにも通り一遍過ぎる。「このシリーズどんなもんかなあ」と解説を見て判断しようとしたミステリ・ファンには何の意味もなく、「じゃあ作品も大した内容じゃないんだろ」とそのまま書棚に突っ返されそうな感じ。
しかし、ここで強く断言しておきたい。本シリーズは、実にシビアな「名探偵の物語」である。ミステリ・ファンなら絶対に読んでおくべきなのだ。
先ほど『春期限定』の解説をすっかり腐してしまったが、実はある程度仕方がない面もある。当時、米澤穂信の単著は《古典部シリーズ》の最初の二作『氷菓』と『愚者のエンドロール』(いずれも角川文庫)、そしてノンシリーズ長編の『さよなら妖精』(創元推理文庫)しか出ていなかったのである。これらの作品はいずれも、ときに酸っぱかったり悲しかったりするものの、基本的には「青春を謳歌する」という表現がピッタリ来るものであった。人生の苦味といったものはあまり強調されず、「なんてヤな話だろう」と読者が思わず眉をひそめてしまうような、酷な現実は示されなかったと言って良い。そして『春期限定』はこれ単体だと、その範疇に収まってしまう青春ミステリだったのである。
小鳩くんは「狐」と称される。実は彼、探偵癖があるのだ。ちょっとした謎があれば首を突っ込み、自分で推理して解いてしまう。しかしこれを続けていると、他人の目から見たら、「小鳩が知っているはずのない」事項をなぜか先刻ご承知という、不気味なキャラクターとして認定されてしまう。だから彼は小市民を目指しているのである。
一方、小佐内さんは「狼」と称される。狼? 身長が百五十センチもなくて、いつもおとなしい、小動物のような動きをする、スイーツが大好きなあの女の子が? しかし彼女の本性もまた、「小市民」をわざわざ望むだけのことはあって、かなり奇特なものだ。おまけに、小鳩君とは違って実に危険度が高い。ではそれが何か、というのは『春期限定』一冊通しての謎なので、言明は控えます。ただし、小鳩くんとうまく対になっている。小鳩くんは探偵、小佐内さんは――どちらかと言うと、犯人側なので。
『春期限定』は連作短編集であり、同級生の消えたポシェット、卒業生が残した謎の二枚の絵、温めた牛乳の問題、などが登場する。いずれも何の変哲もない「日常の謎」で、深刻なテーマが顔を出すことはなく、実に平和な日常が綴られる。最後に収録されている「狐狼の心」で、小佐内さんの正体が遂に紹介され、短編集中の複数の作品が関係する仕掛けの存在も明らかにされるが、そこに至っても作品世界の明るさ・温かさは保たれる。
それまで米澤穂信が出していた作品のイメージもあり、そりゃあ解説者の極楽トンボさんならずとも、この先、シリーズに闇が広がるなんて、思いもしませんとも!