このところ、書店の店頭にあふれる時代小説から撤退し始めている私。特に主人公が気に入っているシリーズと、設定が独特の作品以外は徐々に整理し始めている。要するに、読むのを止めているということ。
全体マンネリ、この一言です。あとは、あまりにもあり得ない状況が多すぎること。
そうした中で、新作ではないこのシリーズをじわじわと読み始めた。2008年にランダムハウス講談社の時代小説文庫として刊行されているが、それより前、1987年に別の出版社から文庫で出ているから古い作品といっていい。これが面白い。
多岐川恭は、江戸川乱歩賞を受賞したミステリー作家、いや日本では推理小説家というか、その人であり、なおかつ直木賞作家でもある。代表的作品をしっかり読んでいるというわけではないが、日本の推理小説の主な作品集には常に顔を出している作家で心に残っている。
その、推理小説家が書いた時代小説なのだ。
「雨太郎」は、うたろう、と読む。たぶん、捕り物小説を集めた選集や、時代小説の短編名作集のようなもので何作かは読んでいると思うが、ランダムハウス講談社の文庫でまとまって読めるとわかって、手を出した。
「捕物控」ではあるけれど、一般的にいう捕り物小説とは味わいがかなり違う。主人公の同心、雨太郎は体調不良で奉行所に出て行かない。いわば病気療養中で、市中の見廻りにも行かないで、家でノソノソしている。少し退屈になったり、あるいは寂しくなるとつきあっている女のところに二、三日やっかいになりに行く。いい身分といえばいいのだが、その分収入が細いのでまぁ、かつかつに暮らしているというところ。つきあっている女がつましい女で、頼まれた内職などもこなしている。
この雨太郎のもとに出入りしてる岡っ引きが、こんなことがあってねとか、ちょっと人に頼まれてなどと事件を持ち込んでくる。そうならないと捕り物にならないんだけれど、といって家から全然出ない「アームチェア・ディテクティブ」というわけでもない。外の空気を吸いたくなって出かけることはある。
体の調子が悪いんでねぇと面倒なことは断りながら、持ち込まれた件で調べておきたいことがあるとちゃんと出かける。そこがこのシリーズのいいところで、岡っ引きが調べたことを推理してみて、あとは「あれを確かめれば」事件は解決するだろうとなるとマメに足を運ぶ。鍵になる人に会ってみる、あるいは事件の現場に足を運んでみる、そうすると雨太郎には、ははぁやっぱりそうだったかと、腑に落ちることがあって事件の解決にたどり着く。
読む方は、常識的な思いで読み進んでいくが、雨太郎が怪しい人間と交わした会話の中に決め手になる言葉があったり、現場に行ってみると、皆が見落としていることが判明したりでストンと事件は解決する。
その機知が、いかにも手練れの推理小説家で、なーるほどそうきたか、という具合に一編ずつが楽しい。
しかも他にない趣向は、雨太郎が、一応役人として事件についての報告形式の文章を奉行所に出したことになっていて、その文章が一作ごとに最後に載っているという仕掛け。どこそこの誰が殺された一件は、こういう経緯で、こういう証拠を見つけ、何某を調べたところでこうなったので捕まえたと。そして最後の最後に、どんな罰が与えられたかも記録してある。
雨太郎自身は冷酷な人間ではないが、悪事に対して奉行所の判断は案外厳しく、これぐらいの犯罪でもこんな思い罰を受けたのかと思わせるところが多い。むろん、それもフィクションなのだろうが、いかにもそういう感じにできているのがいい。
そういう風に、出勤はしないが事件の解決ということでは活躍しているので、上役にそうそううるさくいわれないという状況を用意してある。
機知と洒落っ気、これが何ともほどよい。本格時代小説というのとは別のところにあるとは思うけれど、もう一編だけ読んでから寝ようと思いつつ、止められない味わいがある。軽いけれど引き込まれてしまう捕り物小説としてそっとおすすめしておきたい。