津村記久子さんは、一見、わかりやすい文章で身近な世界を淡々と描写している作家のように見えるが、実は、日常の中に潜むコントロール不能な領域にアグレッシブに挑戦し続けている作家だと思う。
『ポトスライムの舟』の主人公は、工場の契約社員として働く29歳のナガセ。夜は友人が経営するカフェでバイトし、データ入力の内職やパソコン教室の講師までしている。ある日、NGO主催の世界一周旅行のポスターを見た彼女は、その費用163万円が工場の年間の手取りとほぼ同額であることに気付く―。
あらすじにしてしまうと、なんだか今の時流に合いすぎていて、書けば書くほど「つつましやか」で「内向き」で「優等生」で、社会的弱者がけなげに力強く生きていく話と括られてしまいそうだ。
☆
津村さんの小説の最大の魅力は、勧善懲悪を避けていること。『ポトスライムの舟』では、たとえば<薄給だが人間関係は悪くない職場>というのが登場する。<薄給だが人間関係が最高な職場>でも<薄給かつ人間関係が最悪な職場>でもない。<薄給だが人間関係は悪くない職場>というのは、いいんだか悪いんだかよくわからないが、こういうのがリアルというものだろう。津村さんは、職場のメリットやデメリットを、さりげない描写の集積で浮き彫りにするが、つかみどころのないシステムの空気は、個人的な気分や体調や過去の経験と深く関係している。
登場人物の中では「べつにかわいいというわけではない子」が印象に残る。私は子供好きではないが、この子はすごくいい!と思う。この小説は私に、自分は「いかにもかわいらしい子」が苦手だったのだと気付かせてくれた。この子が思い入れたっぷりに描くイチゴの絵がまたいい。「種の一つ一つまで丹念に描いていて、逆にまずそう」なのだ。愛しいものを描くと、そんなふうになってしまうという事実。いかにもかわいい子がかわいいわけじゃないし、愛しいものが美しいわけではないのである。
☆
この小説は、掲示板の2枚のポスターの描写から始まる。世界一周のクルージングのポスターが右に、軽うつ病患者の相互扶助を呼びかけるポスターが左に、2枚がぴったりくっついて貼られている。ナガセは反射的に、左のポスターからは目を逸らす。「前の会社を辞めた直後はともかく、それからもう数年が経っているのに、そういうものにお世話になっている場合ではないのだ」と。だが、ナガセの過去が詳しく明かされるわけではない。「新卒で入った会社を、上司からの凄まじいモラルハラスメントが原因で退社し、その後の一年間を働くことに対する恐怖で棒に振った経験」があると説明されるのみだ。ただし、過去の経験はナガセの行動に重要な影を落としており、「たぶん自分は先週、こみ上げるように働きたくなくなったのだろうと他人事のように思う」という描写も、そんな時系列の中で生きてくる。働きたくなくなるという気持ちが、無気力ではなく、積極的な心の動きであることに着目したい。そもそも、左のポスターから反射的に目を逸らすのも、逃げではない。ネガティブなベクトルの中にも、ポジティブな力が潜んでいるということだ。