時代小説には、池波正太郎『剣客商売』(新潮文庫)や藤沢周平『三屋清左衛門残日録』(文春文庫)、北原亞以子『慶次郎縁側日記』(新潮文庫)など、隠居した老人を主人公にした作品が数多く存在している。その歴史は『水戸黄門』にまで遡れるかもしれないが、風野真知雄による本書『大江戸定年組』シリーズも“元気なご隠居もの”の系譜に属する作品である。
北町奉行所の定町回り同心の藤村慎三郎は、神陰流を学んだ剣の達人。三千五百石の旗本・夏木権之助は、男っぷりがよく弓の名手でもあるのだが気が弱い。小間物屋を営む七福仁左衛門は、両手を超える長屋を営む大家でもある町の有力者。この三人に浜田三次郎を加えた四人組は、身分こそ違うが、実家が大川端に近かったため水練を通して仲良くなった幼馴染み。だが家業の見習いを始めた頃から疎遠になり、大人になってからは顏を合わすことも珍しくなっていた。ところが浜田三次郎の葬儀で再会したことで再び交流が始まり、全員が隠居をしたのを機に、家族に気兼ねなく好きなことができる隠れ家を探し始めるのだが、なかなか良い物件が見つからない。そんなとき慎三郎は、豪商の布袋屋から女房が誘拐されたので秘かに捜査して欲しいと依頼される。同心時代から懇意にしている布袋屋からの頼みは断れず、慎三郎は権之助、仁左衛門と事件を調べることになる。
三人は第一話「隠れ家の女」で布袋屋の細君誘拐事件を見事に解決、そのお礼に布袋屋が建てた仕舞家を安く借り受け、そこを「初秋亭」と名付けて念願の隠れ家にする。隠居したとはいえ、三人はまだ五〇代半ば。「初秋亭」には、少し老いたものの、自分たちの年齢は人生でいえば初秋に過ぎないとの意味が込められているのだろう。ただ隠れ家の仕舞家が、「変わり者」と噂される布袋屋が「好みにまかせてつくった家である。凝りに凝っていて、便宜性はともかく、風流な、というよりも粋狂なこと、この上ない」(『大江戸定年組2』より)とされていることを考えると、「初秋亭」という銘は、昭和初期に渡辺金蔵が指揮して建てた奇妙な建築物「二笑亭」を意識している可能性も高い。このほかにも、布袋屋の細君誘拐事件では、エド・マクベイン『キングの身代金』(ハヤカワ・ミステリ文庫)――というよりも、『キングの身代金』を映画化した黒澤明監督の『天国と地獄』の、といった方が分かりやすいかもしれないが――を思わせる身代金受渡しのトリックが出てきたり、俳句が重要な役割を果たす第二話が「獄門島」(いわずと知れた横溝正史の名作。横溝の『獄門島』と俳句の関係は、ネタバレになるので、実際に読んで確認していただきたい)と題されているなど、元ネタを知っているとクスリと笑えるような遊び心が随所に施されているのも楽しい。
現役時代に幅広い人脈を持っていた三人のもとには、布袋屋以外からもトラブルの相談が持ち込まれるようになる。時に陰惨な事件に直面することもあるが、夫婦やご近所のもめごとに関する依頼も多く、そんな時三人は、長い人生経験を活かして八方丸く収まる落としどころを探っていくので人情味が強くなっている。豪商が集まる「秘密の会合」が浮気ではないかと疑った細君たちから調査を依頼される「菩薩の船」(『大江戸定年組2』所収)は、オチが抱腹絶倒なのだが、中年男の悲哀と密接に結び付いた「秘密の会合」の内実を、どのように依頼主に伝えるかで悩んだりするので、シリーズの特色がよく出ている。巻を重ねるにつれて、小さな事件の裏に怪しい新興宗教団体「げむげむ」の暗躍があることも浮かび上がり、三人は“巨悪”との対決も迫られるので、サスペンスも満点だ。
難題を次々と解決していく三人だが、その活躍はなかなか“颯爽”とはいかない。隠居をしたといっても、仁左衛門は商売が下手な息子を心配し、浮気防止のためイチモツを赤く塗ることもあるほど嫉妬深い若い再婚相手おさとにも悩まされている。慎三郎も家督を譲ったばかりの嫡男・康四郎のことが気掛かりで、権之助は愛する妻がいるのに、辰巳芸者の小助に振り回されている。家庭内の問題や体力の衰えを、気力と経験で補いながらトラブルに立ち向かう三人の姿は、本当にリアル。シリーズ開始早々、権之助が中風(脳卒中)で倒れ左半身に麻痺が残り、リハビリ生活を強いられるところは、中年以上の読者にとっては特に生々しく感じられるのではないだろうか。
仕事一筋に生きたため、隠居後も何をしていいのか分からなかった三人は、高度経済成長を支えた日本人そのもの。手探りしながら老後の生甲斐を見つけていく三人は、まさに団塊の世代が大量退職し、元気な老人が増えている現代に相応しいヒーローなのである。