本書には、ウラジミール・マヤコフスキー詩『海と灯台についての私の本』、ウラジミール・タトリン画『まず第一に、そして第二に』など、名高いアヴァンギャルディストたちが直接関わった絵本も紹介されています。1917年の革命前後、いわゆる「ロシア・アヴァンギャルド」の芸術家たちが、先鋭的な芸術様式と大胆な想像力を、プロレタリアートの日常生活に喜びや快適さをもたらすために活用するという望みを抱き、商工業デザインや大衆娯楽文化の分野へと積極的に参入していったことは、つとに知られています。しかし、内戦終結後、ソ連の前衛的芸術家たちは、しばしば党首脳部による批判や非難、敵対的なキャンペーンの標的となり、1930年代の大粛清に至るまで、徐々に自由な創作活動の空間を縮小されてゆきます。前衛的芸術と大衆の日常生活の調和というロシア・アヴァンギャルドの夢にとって、重要な実践の場となり、やがては最後の砦のひとつともなったのが、子供向けの絵本の分野であったことは、本書収録のアレクサンドラ・シャツキフによる論考「ロシア・アヴァンギャルドの最後のきらめき」も指摘する通りです。
しかし、1920-30年代の華やかな絵本革命の果てに待ち受けていたのは、「ロシア・アヴァンギャルドのすべての芸術運動と同様に、『存在しなかった過去』として抹殺され、人々の記憶のなかから消え去る運命」(126ページ)でした。本書の後半には、スターリン時代の粛清を辛うじて生き延びたレーベジェフが、代表作のひとつ『しましまのおひげちゃん』(1931年)を、後年にリメイクした版(1954年)が掲載されています。1931年版の軽やかな色彩と点描で描かれた柔らかで愛らしい少女と猫の形態の魅力が完全に失われ、いかにも垢抜けない写実性に置き換えられてしまっている画面を見るにつけ、「社会主義リアリズム」による自由で多様な創造性の破壊が、いかに無残な傷跡を残したかが切実に感じられます。
「社会主義リアリズム」公式化以後、それ以前に作られた絵本の多くが焼却・破棄され、あるいは簡易製本の安価なものが大半だったこともあり、消失・散逸の憂き目を見ることになります。本国ではその多くが失われたソヴィエト・ロシア絵本ですが、同時代にその質の高さに瞠目した海外の収集家によるコレクションが、多数の貴重な資料を後世に残すこととなりました。本書で紹介されている絵本の大半も、画家の吉原治良、デザイナーの原弘を始めとする日本の収集家たちが、1930年代に収集したコレクションに含まれていたものです。吉原・原らのロシア絵本のコレクションを委託された芦屋市立美術博物館と東京都庭園美術館の提携により開催された展覧会「幻のロシア絵本 1920-30年展」をきっかけに、その図録としての本書が編纂されるに至ったわけですが、芦屋市立美術博物館は、現在、財政難のため今後の存続が不透明な状況が続いています。貴重なロシア絵本のコレクションも、いまだに完全な安息の地を見出しえてはいないのかもしれません。
最初に引用したエッセイ中で、寺田寅彦は、ソヴィエト・ロシア絵本の「絵」の魅力のみならず、「絵」と「文」の絶妙なマッチング、そしてロシア語原文の韻律の魅力を嘆賞しています。本書では原語の響きまでは味わうことができませんが、国際子ども図書館のホームページ内の「絵本ギャラリー」では、本書でも紹介されている『サーカス』や『イワン・イワーヌィチ・サモワール』などの絵本を、ロシア語による朗読音声つきで閲覧することができます。「絵本ギャラリー」はすばらしい企画ですので、大人の方もぜひご閲覧を。
国際子ども図書館 絵本ギャラリー「モダニズムの絵本 日常の中の芸術」
http://www.kodomo.go.jp/gallery/modernism/index.html