リチャード・ノース・パタースンというと、『罪の段階』『子供の眼』(新潮文庫)などの法廷スリラーで、ひところ翻訳ミステリ界を席巻した作家である。この作家の作品は、出版されるとほぼ必ず「このミステリがすごい!」や「週刊文春ミステリー・ベスト10」などで高位にランキングされていた。ところが最近は、本国アメリカでこそ変わらず健筆を振るっているものの、わが国への新作紹介ペースが鈍ってしまい、少々影が薄くなってしまったのだ。既存のファンは、ひょっとするとパタースンはもう翻訳されないのでは、と不安になっていたかも知れない。
本書はその懸念を払拭し、ファンの渇きを癒す、待望の本邦初紹介作品である。
のっけから断言してしまうが、本書は、厳密にはミステリとは言えない。本書はアメリカ合衆国大統領選挙――より正確に言うと、共和党の大統領候補者予備選挙――に関する政治ドラマである。殺人や強盗など、警察や探偵が出て来るいかにもミステリめいた犯罪は全く出て来ない。ただし、各陣営の虚々実々の駆け引きは、コン・ゲーム小説とまでは言わないまでも、頭脳戦といった感触がある。また政治的な主義主張よりも、登場人物の人間ドラマが非常に鮮やかに、そして活き活きと浮かび上がってくるのが特徴である。本書はしんねりむっつりした「政治の話」ではなく、楽しく読むことだってできる、立派なエンターテイメント小説になっているのだ。
主人公のコーリー・グレイスは元軍人で、湾岸戦争時に敵の捕虜となったが拷問に屈せず生還した経歴を持つが、帰国後にその過去を活かして、政治の世界に足を踏み入れ、共和党の上院議員を務めるまでになった。そして共和党系の現職大統領が任期切れを迎えつつある今、43歳のコーリーは大統領候補者争いへの参加を決意する。その理由は「他の候補者じゃダメだ」というのが一番大きいようである。
コーリーは、「保守的」とよく評される共和党員としては異例なほど、リベラルな立場をとる政治家である。党利党略はもちろん党の綱領よりも、自らの良心を優先して行動することが多い。胚幹細胞研究法案に賛成したり、メディア王の更なる企業買収には反対を表明したり、同性愛者にも寛容だったりと、彼の態度はおよそ共和党員らしくない。おまけに、作中で恋仲となる女性レキシー・ハートは、何と黒人なのだ! というわけで、彼はコチコチの保守層からは不興を買っている。敵対派閥からは「反逆児」とすら呼ばれる始末だが、不思議と孤立無援にはならないのである。人好きのする男なので、人脈の幅は意外と広いし、支持者はもちろん、敵対派閥の一部とも信頼関係を築いてすらいるのだ。恐らくその表裏のない性格が、主義主張をある程度超えて人を惹き付けているのだ。そんなコーリーを突き動かしているのは、湾岸戦争時に自分が犯した判断ミスのために黒人の信頼できる同僚を失ってしまったという負い目である。さらに、弟が同性愛者であったこと、そして彼が苦悩に直面していたことに気付かず、結果として弟の自殺を止められなかったことを後悔している。また彼はバツイチで、妻と離婚し娘とも疎遠になっているのだ。これらの失敗の存在が、コーリーの強さに説得力を与えると共に、更なるリアリティを付与している。ここら辺はさすがパタースン、さじ加減が絶妙である。
そんなコーリーの選挙戦の相手は、「本命」である院内総務のロブ・マロッタと、キリスト教右派層をまとめるボブ・クリスティである。面白いのは、選挙戦の三候補者が、それぞれに非常に対照的であるということだ。
コーリーは先述のようにかなりリベラルな良心派であり、選挙戦においても汚いことは全くしない。レキシーとの関係も隠さず堂々と公表している。一方、ボブ・クリスティはかなりドラスティックなキリスト教信者で、同性愛もダメ、幹細胞研究も(それによって希望が見える難病患者がいても)ダメ、そもそも最近のアメリカ社会の風紀は乱れておりこれを正すのが自分の役割だという御仁である。演説にもキリスト教関連の言葉をたくさん引くなどしており、「狂信者」臭がぷんぷんするのだ。ただし自分の思想信条に誠実に向き合っていることは事実であり、コーリーともお互いそこは評価している。もちろん、選挙戦で汚いこともしないのだ。
しかし、「本命」たるロブ・マロッタは違う。彼の選挙参謀のマグナス・プライスは、自陣営のためには何でもやるタイプの人間であり、当然、汚い手を使うことも辞さない。そしてマロッタは選挙参謀の言いなりなのだ。大統領になってやりたいことがあるのかないのか、いまいちはっきりしないまま、マロッタは共和党支持母体=保守層+産業界の要望を唯々諾々と請け合っていく。テロリストに襲われて軟弱な態度をとってしまうなど、ヘタレ度も高いのだ。この陣営は、合衆国大統領という至高の地位を手に入れたいだけだ――読者はそう思うだろう。本書の邦題は『野望への階段』だが、コーリーにもボブ・クリスティにも、「野望」という言葉は似合わない。それが似合うのは、ロブ・マロッタとその腹心マグナス・プライスに他ならないのである。