子どもが無事中学を卒業してしまうと、私にはあまり教育の現場を見る機会がなくなってしまった。私は授業参観には積極的に行った方だった。しかし、一区切りの授業を眺めただけでは教育の現場がわかるとはとうていいえない。よそ行きの授業であり。子どもたちも誰の親が来ているかを見回して遊んでいるようで、いつもの授業ではないとわかっている。
その辺りが相変わらず「授業参観」の変なところなのだが。
荒れる教育現場、問題山積の教育現場というのは一般的には「小中学校」についていわれる。高校になり義務教育でなくなってしまえば、学校側が「手に負えない」生徒を辞めさせることもできるようになって、教育現場が違ってしまうのだろう。学ぶ気の無い者を、学ぶことが前提で来る場所に置いておく必要はない。「収入源」としての生徒を大切に、という、教育方針ならぬ経営方針はあるのだろうが、これは程度問題となるのだろうか。
この本は『校長を出せ!』という書名だが、副題に『バカ親とクソガキのワガママが学校を襲う』とあって、学校の問題が単に学校側だけのことではなく、そこに通う子どもと、その親までを含んでの問題なのだと暗示している。読み進むと「教育委員長も出せ!」といいたくなる部分も出てくる。
『校長を出せ!』は、センセーショナルな狙いで付けたのだろうが、私はもう少し真っ当な書名の方が、この本の内容にふさわしいように感じた。
今現在は、「荒れる教育の現場」ではなく「崩れゆく人間たちを、教育の場に連れ戻すにはどうすべきか?」を深く思案しなければいけないようだ。
荒れているともいえるのだろうけれど、収拾のつかない人間たちが教育の日常を乱しているという方がいいのではないか。そういう現状を淡々と書き募っていく筆の力がしっかりしている。
各地の教育委員会の人員の怪しさもあり、そこで査定されて「学校が無事でなければ」左遷される校長、校長に評価されないと僻地に行かされる先生。我が子可愛さの余り毎日授業を見に来て先生の人間性を破壊していく親。そうした親に育てられた子どもの、徹底した社会性の無さ。
金と出世、「いいところに入らなければ人間ではない」と心の奥底から信じてしまっている親の言動によって心がいびつになってしまった子どもが、優しい先生の言葉を聞くか?
と、誰が悪い、ここが悪いということを遙かに超えてしまった世相が報告されている。
私は読んでいてこの著者に感心した。
教育の元締めから教わる児童まで果てしなく広がる「ろくでもない連中」を取材しながら、怒り狂ったり、投げ出したりせずに淡々と現状を紹介していく。週刊誌の記者というジャーナリストの目を持ち、現実に対する態度の一貫性が凄いと思った。
こんな馬鹿の親をほったらかしておいていいのか、と激することもなく。そうなっていく事情にも思いを馳せようと、じりじりしている感じはあるが、まずは冷静に事態を見ましょうという感じ。
教育委員会の奇妙な偏りや校長たちの教育についての考え方は、どんどん遡っていけば国の教育方針に行きついてしまう。といって「日本の戦後教育は」などと大上段に事を構えることもしない。
その、冷静な報告の分、崩れていく教育の現場の崩壊の度合いの大きさが実感できる。
この著者が、給食費を払わない親について、実際全国にどれぐらいそういう親がいて、払われない金額がどれぐらいなのかを教えてくれる。
知ってびっくり。実は微々たるものなのだ。それこそ社会保険庁の国の組織をあげての詐欺(でなければ、組織犯罪)に比べれば児戯に等しいことがわかる。
しかし、わかりやすい例として給食費を払わない親がいる、と、新聞の見出しになり、テレビで一定期間話題にされ続けると、それこそが教育の現場の問題のようにとらえられるが、違うのだ。そういうことは、日本の教育にとっては些末なことなのだ。
何をどう学んでもらうか、いや、教えるべきかという学校の確固たる理念がない。
親は、自分の子どもだけがかわいいので、先生が気に入らない、他の生徒が気に入らないとなれば、身勝手にわめく。
「してはいけないこと、言ってはいけないこと」でがんじがらめにされた現場の先生は、よほど経験者でないと心が崩れてしまう。
そして、子どもは育った環境が果てしなくバラバラなので、まとめて扱うことができない奇妙な人間性を持つに至っている。
自分たちの国をどうしていくのか、次世代、そのあとの世代に何を伝え、何を期待するか。それの明確な道がない国の教育現場を、この本で覗いてみるといいです。
新書にして、数年おきに「現状の見直しをして」版を重ねて欲しい良質の本だと思う。