本書は“初の受付嬢小説”と銘打っているが、著者である夏石鈴子さんの実体験をモチーフにした物語である。
短大生から大手出版社への就職にチャレンジし、超がつく難関をくぐり抜けて見事採用され、受付に配属された日常をつづったものだ。
私も色々な会社に行くが、その企業のファーストコンタクトの場となる受付にはドラマが凝縮されているだろうな~と思っていたら、まさにそのとおり。しかも本書の舞台は大手出版社の受付、期待大だ。
リアルでビビッドな人物・エピソード描写には、自分の働いていたときの出来事を重ねあわせ(様々なことがあった仕事場だったので)、心に嵐が吹いてきた一瞬もあったが、本書は濃いエピソード満載ながらも、爽やかな風が吹きぬけるような読後感になっている。そしてそれは主人公・鈴木みのりのすっくと立った姿勢によるところが大きいだろう。
春に向かってぐんぐんと伸びた竹の子のようなまっすぐさ、だがそれには節があり、たくましさと手ごわさもある。読後、みのりの前向きさに胸がきゅんとなってしまった。
青春という言葉を使うのはちょっぴり照れくさいが、みのりの日常が断然光っていて、彼女の鋭い観察眼と本質に迫る言葉が、ときに辛口だなぁ~とは思うものの、単なる日常小説ではない厚みをつくっている。
例えば就職活動の際には「やり甲斐のある仕事がしたいの。多くの子たちが、そう口にしていた。つい最近まで、ただ机に座って勉強していただけの人間に、最初から、重要な仕事ができるとは思えない。やり甲斐があるかどうか、それは自分の心の問題ではないか、と思う」とか、入社してからは「誰にでもできる仕事って、落とし穴だな、とみのりは思う。その仕事をバカにしていい加減にすると、あの人はいい加減だから、とそれより上の仕事はさせてもらえないだろう」と思ったり・・・。
出版社の空気感もリアルに表現されている。
最終面接の前に書かされた作文。題は「一冊の本」というものであった。
それに対してみのりは「一冊の本。その本は、ここにはない。なぜならこれからわたしが書くからだ」と書いたのだが、研修のとき浦島太郎のようなオジサンが顔を出し「そうそう、このなかでね、本を書くと作文に書いた娘さんは誰?・・・そう、あんたなの。やってごらんなさい。どうせできないから」と言い捨てていった。その人物がなんと「いまの人、うちの社長だよ」などというエピソードは面白い。
受付はみのりを入れて四人体制。
入口でごみが落ちていたらさっと拾って、自分のスーツ(しかもすこぶる高価そうな)にしまう・・・そんなエピソードを持つ木島さんという先輩は、品格・人格ともに兼ね備えた女性である。だがみのりはそんな木島さんといると“時々暴れたくなる”。
そして可愛くってさばさばと魅力的な紅ちゃん、同じく受付仲間だが、お金と男の人のことしか頭にない鈍感な宮本さんは、ともに入社二年目。この宮本さんをみのりは“干上がったヒヨコ”とたとえるが、これがまた無神経でザクザクと人間関係を切りつけていく切り裂き魔のような女性だから、これまたひと騒動・・・。
出版社に勤務したら華やかな編集部に行きたがる人が多い。なかでも秘書室、経理部と並んで受付は“女の三大地獄”のひとつといわれているが、みのりはそのなかで「平凡なサラリーマンになることだって簡単じゃない。なりたいと思っても、なかなかなれないことにびっくりする。時間を守ること、相手に信頼されること、繰り返しの作業にも手を抜かないこと。そんな日々の積み重ねで一人ではできないことが、大勢の人たちの力で大きく動いていく」ことに気がつき、修行のような気持ちでひとつひとつの仕事をこなしていく。
しかし一方でみのりの現実には納得のいかないものもあり、特には心が折れそうになる時もある。
同期入社で営業部に配属された春子。誤植を発見した読者からの電話を受け「今読んでいるからすぐ持って来い」と有楽町の喫茶店に改訂版を持参したとき、衆人のなか読んでいた本を投げ捨てられ「君の会社も随分落ちたもんだねぇ」と捨て台詞。それを拾う春子。
誤植というのは句読点の二か所だった。トイレで隠れて泣いている春子に、みのりは憤りながらもかけるべき言葉が見つからない。
色々なことがある日常のなかで、みのりは大事にすべきもの、どうでもいいもの、我慢すべきもののプライオリティを付けていく。それは何も分別くさくなることではなく、大事なものをより大事にしていくためのそぎ落としのプロセスである。
本書をたとえるなら、シンプルかつヘルシーなBLTのサンドイッチを食べてみたら、意外や意外、ベースにはたっぷりとマスタードがぬってあった・・・という感じかしら。ときに、うわぁ。意地悪だなぁと思う視点や発言もあるが、それが出版社社員とはまた別の顔でもある夏石鈴子の作家の目なのだろう。
夏石さんは現在も同社の会社員として働きながら執筆活動を続けているというが、多忙な中でも日常をおろそかにせずにきちんと生きる。当たり前だが大事なことを再認識させてくれる物語だ。
嫌なこともあり、変な人もおり・・・いろいろあるけれど、働くって面白い。働いているからこそ喜怒哀楽もあり、悲喜こもごもがあり、新たな発見もある。
“人が新人である時間。それは本の一瞬のこと”あとがきに夏石さんは書いているが、新入社員のみのりとともに成長していくような明るい気持ちになる一冊だ。