以前、『エリゼ宮の食卓』(西川恵著・新潮社/新潮文庫)という本を読んで非常に面白かったことを覚えている。その本は、ミッテランとシラク二人の大統領が、フランスの大統領官邸であるエリゼ宮に外国の客を迎えたときどういうメニューでもてなしたかという話。
なのだが、実はその食卓ごとに選んだワインから「相手である外国の首相、大統領、女王、王族をフランス大統領はどう見ていたか」を読み取る、いや、わかってしまうという内容だった。
国と国との関係で、儀礼上食事を共にするだけの相手と、既に外交の舞台で何度も会って個人的にも親しい国家元首を迎えたときでは「メニューも、ワインも」大違いで、そこに相手に対する友情や尊敬の念が現れるということなのだ。シラクだったか、ドイツのコール首相と親しくて、コールが来るときはシェフに「彼は大食いだから、大盛りにするように」と告げていたというのがほほえましかった。彼はあれが好きだから、ということを知っていて、それだったらワインはあれにしようとエリゼ宮のシェフと相談できるというのは洒落ている。
また、若いクリントン大統領に対して「若造」と思っていたらしく、大したワインを出さないでしまったのだが、あとでクリントンがワインを趣味にしていると知って、二度目に訪れたときには猛烈にいいワインでもてなしたというような話もあった。
この本は名著。視点が独自な上に、実に見事な内容。上の二人の大統領の在任中に日本の首相も何人か訪れているのだが、誰に一番いいワインを出してもてなしたか? というような小ネタも面白い。
で、最高権力者が日常何を食べているか、というのは案外面白いもので、上の本では、さすがにフランスの大統領ともなると趣味がいいな、ワインがわかっているなという気がした。
さて『大統領の料理人』では、クリントンとブッシュがホワイトハウスに住んだ時期にシェフを努めた人の手記である。大統領に日常こんな料理を出していたという話を書いている。この本は、日本では2008年5月の新刊だが、本国アメリカではブッシュの影が薄くなり、ヒラリー・クリントンが大統領候補になるために連日マスコミを賑わしていた時期の出版である。なお、ブッシュの二期目になったところでこのシェフはホワイトハウスのシェフを辞めている。読めばわかるが、とてもシェフとして料理を作る気にならないような環境になっていく様子がわかる。
特別ドラマチックな書き方はしていないが、そのせいでかえって好感の持てる本だった。このシェフの人間性がとても素晴らしく心を打つ。政治向きのことあるいは下世話な話題を書かないところが心地よい(例えば、ほらクリントンの女癖など)。
クリントン夫妻がホワイトハウスに入った時に、このシェフは、新しいシェフを募集していることを知る。
名のあるレストランのシェフを務めていたので、料理を作ることには自信があるにして「ホワイトハウスで毎日食事を作る」ということがどういうことを要求されることかがわからない不安がある。
高いレベルで料理ができる、かなりな腕でプロとして十分通じているということを基本にしても、世界の最高権力者の「家で」毎日の食事を作り、また世界中からやってくる各国の権力者をもてなす料理を提供し続けるのは、別のことだと、このシェフは思うのだ。
しかし、案外面白いかも知れないと応募する。面接があり、どういう料理を出していくつもりかを聞かれ、また、腕試しの料理を作らされるといった経緯があって、ホワイトハウスのシェフに決まった。
ホワイトハウスの食事、食べ物に関してはほぼヒラリーの一存で決められていたことがわかる。ヒラリーが支配していたといってもいいような状態。大統領のスタッフはもちろんいるのだが、ファーストレディであるヒラリーにも彼女の女性スタッフがいて、これが案外怖そうなのだ。ヒラリーとその女性スタッフに食事を出して、デザートを出して、「さて、どんなものか?」と思っていたら、合格点が出た。
しっかり信頼を得るのだが、ヒラリーが全体にこういう料理にしたいという意見を伝え、シェフが「それなら、こういうメニューではどうか」とプレゼンテーションして、その中から「これとこれ」とヒラリーが選ぶ。それで決定であとは淡々と進んでいく。
世界中の国家元首を迎えての食事というと、正式な晩餐にはフランス料理という古典的な選択を思ってしまいがちだが、クリントン夫妻は「アメリカの料理」を提供したいという強い意志を持って、ホワイトハウスの食事をアメリカの食事としてイメージしていた。これがなかなか面白かった。ワインもアメリカのワインを選びたいのである。
ヒラリーが、カロリーのことを強く意識し健康的な食事を続ける強い意志を持っていたことがわかる。それがこの前の民主党大統領候補指名争いのタフな旅を続けられた基礎になっているような気がした。シェフが出したメニューを「これでいいわ」としておいてから、その料理全部のカロリー数を提出するように、というあたりが面白い。特に日常の朝食や夕食は、ホワイトハウスだからといった特別なことはなく、新鮮で、いわゆるオーガニックなつくり方をされた野菜と脂肪の少ない鶏肉を中心にした料理である。
ただし、クリントンはジャンクフード系を食べたいようで、ヒラリーがいないときは脂っこい料理を作ってくれるようキッチンまで顔を出したりしたというのがおかしかった。