それぞれのエッセイで、こうした係累の方々との関わり、そして、映画関係の監督・役者との関わり、更に、作家や友人知己、戦友との関わりを、食を通して飄々と軽妙洒脱に語ってくれています。東宝、東映、松竹、映画会社によって全くカルチャーが違うのも、とてもよく描かれており興味深々。小津安二郎監督、豊田四郎監督、渡辺邦男監督、島津保次郎監督、今井正監督、そうそうたるメンバーが登場してきます。作家では、川端康成、志賀直哉、石坂洋次郎etc…。そして、「およげ!たいやきくん」のイラストモデルで有名な、あの麻布十番の本家鯛焼き屋の親父は戦友で、こうした戦友絡みの話も、教訓や示唆に富んだ語り口で展開されていきます。
池部さんが軍隊に召集されたのは1942年、24歳の時。中国山東省に派遣された。大学卒ということで下士官候補生にされ、きびしい訓練を受け少尉となる。1944年に南方戦線に移動。途中、輸送船が撃沈されたが、何とか命からがらハルマヘラ島に上陸し九死に一生を得る。その後は衛生中隊を任され終戦まで戦い、終戦時の階級は中尉。1946年6月まで抑留され、南方から苦労して日本に帰る……。という経歴も凄すぎます。この「食い食い虫」では、この軍隊生活での食べものの恨みが切々と綴られているのも見逃せません。
江戸っ子親父の訓育よろしく育った大森生まれの東京っ子、戦争という死線をさ迷った苦労人、池部良。あの端正なマスクに隠された、怒り、そして、愛すべき人の良さを文章の端々に感じることが出来、男の気骨に胸を打たれます。言ってみれば、これは「食」を通しての庶民の生活史、稀有な俳優の映画史なのであります。では、最後に、親父さんが俳優になりたいという池部さんに言ったというこんな言葉を…。
俺のような絵描きだって同じだが、役者となりゃあ、ことさら、五感って奴に気を配れ。眼、こらあ視覚だ。嗅覚は鼻、聴覚は耳、触覚は皮膚、そして舌だが、味覚ってことだ。
どれか一つぐらい欠けても、役者商売には差し支えがないようなもんだが、味覚てのだけは大事にしろよ。味の解らねえ奴、味に関心のねえ奴は、頭が悪い、まず、絵描き、俳優には、向きじゃねえな。
味うことは、人間の高級な楽しみだ。醤油、砂糖、椎茸(しいたけ)出し、なんて組み合わせを考えるのも、人問しか持ち合わせのない高級な楽しみだ。ま、俺の言えることは、こんなもんかな。
なかなか含蓄のある言葉ではありませんか。本書は1998年に刊行された、人間の原点、日本人の品格を考える上でも、ぜひ、若い人にこそ読んで貰いたい一冊。そこで、昭和残侠伝風、決め台詞を。『食い食い虫・読んで貰います!』なんてね…。