村上龍の青春小説『69』(1987年)に、1969年十七歳の佐世保の高校生である主人公が、演劇部の顧問教師に喰ってかかる場面がある、「なにがシェークスピアだ、ばかばかしい、ヴェトナムでは毎日何千人と死んでるっていうのに、先生、あの窓から見える港から毎日人殺しのためにアメリカの軍艦が出港してるんですよ。」頭のなかは女生徒にモテることしか考えてないくせに、大人をやりこめることには巧みなこの主人公の反抗はいかにも幼いけれど、それでもリアリティはじゅうぶんにあった。なぜなら1965年アメリカが南ヴェトナムに実戦部隊を送り込んで「支援」するようになると、日米安全保障条約にしたがって、日本の米軍基地は補給基地にされ、沖縄の嘉手納基地から爆弾を積んだB52機が飛び立ち、横田や岩国は、アメリカの航空機の中継基地になり、横須賀や佐世保からは、空母や原潜の補給や修理に使われたりした。日本はまさに半植民地だった。こうした日本の貢献に応えるかたちで、アメリカは1972年、沖縄を返還した。日本でも、ヴェトナム反戦運動は生まれたが、政治を動かすには至らなかった。
著者のバオ・ニンはヴェトナム戦争において北ヴェトナムの兵士だった、長くつづいた地獄からようやく帰還した男だ。物語のはじめにおいて主人公キエンは戦後数ヶ月、最初の乾季にいて、塗れたジャングルの木々のなか、腐葉土を踏み、ぬかるみのなかを歩き、戦死者たちの遺骨や遺品を収拾する任務に就いている。このジャングルのなかで多くの兵士たちが死んだのだ。かれは聞く、遠い過去のどこかから聞こえてくる、幻のため息。黄色い木の葉が草の絨毯に舞い落ちる音。やがてかれの意識は、戦時下へと引きずり込まれてゆく。たちまちのうちに語りは主人公キエンの戦時下の時に引きずり込まれてゆく。それから先の叙述も、けっして時系列どおりには語られない、なにを見てもなにかをおもいだすとばかりに、語りはいつも行きつ戻りつしてゆく、ただ語り手の意識の流れにしたがって。ナパーム弾に追われ逃げ回り、前にのめり、後ろにのけぞり、降下したヘリコプターが枝の先をかすめて飛ぶ、発砲、血しぶき、ずたずたの死体の群れ。「死んでも降伏するな、諸君、死んでも・・・」戦場は泥沼となり、黒褐色の泥水には血の色の膜が浮かび出た。水面に、仰向いたり、うつむいたり、死体が浮かび、焼け焦げてふくれあがった野獣の死体と、砲撃で叩き切られた枝や幹の破片とが、入り混じって漂っていた。水が引いて太陽に晒されると、すべてが泥で塗り固められ、腐乱した肉の猛烈な悪臭がした。キエンは渓流に沿い、足をひきずって歩いた。口と疵から死体のような冷たく粘っこい血がたらたらと滴り落ちた。死神が触ったのだ。蛇やムカデがかれのかたわらを這っていった。いま、キエンは、戦後にいて、戦死者たちの遺骨や遺品を収拾する任務に就きながら、戦時下の悪夢から逃れられない。ハンセン氏病に犯され飢餓に苦しむ村を、ガソリンを撒いて火を放ち、村ごと焼き払ったことさえある。そのような地獄の日々に兵士たちはいったいどうやって耐えられるだろう。
キエンたち北ヴェトナムの兵士は、南ヴェトナムのジャングル(内陸高原部)に配属された。かれらは故郷の北を恋しがったが、そうかんたんに戻れるものではない。ヴェトナム戦争のいっそうの深刻は、内戦でもあったことだ。ヴェトナム戦争は、北と南に分断された国土において、共産党政権の北をソヴィエトと中国が支援し、資本主義陣営たる南ヴェトナムをアメリカが支援した。したがってヴェトナムのある国民は南ベトナム兵として共産軍と戦い、別の国民は北ヴェトナムの正規兵となり、はたまた別の国民は、南ヴェトナムで解放戦線に参加し、たがいに同胞をそして敵国兵を殺しあった。ヴェトナム人はそんな戦争を生きた、家族のなかに敵味方が生まれもした、ほとんどの家庭は戦死者を出した、それでもヴェトナム人たちはあらゆるものを失いながら、十年あまりものあいだ戦ったのだ。そうするしか選択がなかったから。
地獄の日々のなかで兵士はなにをおもい、なにに救いを求めるか。女だ。兵士が女たちを漁ることを責めるのはたやすい。キエンとて仲間のありさまが腹立たしく、恥ずかしい、だが責める言葉もむなしい、兵士たちはいつ死んでもおかしくない身であり、もとより長くつづく地獄のなかでのはなしなのだ。もっともキエン自身は女たちを漁りはしなかった、かれがおもいだすのは、ただ十七歳のとき愛した娘だ。彼女の名前はフォン。青く若い(胸が苦しくなるような)恋の記憶。キエンは熟練の兵士だが、まだ若い、未熟な恋しか知らずに、戦場へ送り込まれ、いまや戦闘のプロフェッショナルだ。